■明治末期の創刊以来、戦争中に中断することもなく、今日まで発行され続けている女性総合雑誌『婦人之友』。創刊からちょうど30年目の最初の号(=第30巻第1号)にあたる昭和11(1936)年新年号の附録が今週の1点目。
題して「一人分一軒分持ち物標準図解」。戦前の古本に詳しい方ならすぐにお分かりのように、今和次郎と吉田謙吉による『モデルノロジオ 考現学』と非常によく似ており、考現学の家庭内部ヴァージョンといった感があります。今回初めて知ったのですが、『婦人之友』を創刊した羽仁もと子は、創刊当時から合理的な家庭内のあり方について啓蒙に努めていたとのことで、昭和10年には考現学の手法を応用したと見られる「一人分一軒分持ち物調査」を実施。この新年号の附録は、調査結果から導き出された標準値=当時の平均的な家庭の姿を図解したもの。
今回入荷したのはタブイド判二分の一位の大きさに片面カラー印刷されたペラ5枚。全点共通タイトル「一人分一軒分持ち物標準図解」の内、「玄関・洗面所・浴室・物置の隅々まで」「居間・食堂にあるもの」「子供室・書斎の内部」「主人の持ち物・男児の持ち物」「女学生一年間の服装」となっています。手持ちの5点から、「幼児の持ち物」がないのは確実なのは分かりましたが、何分にも本日初見で落札、他に現物を見たことがないので確かなこは云えませんが、主婦の持ち物や台所など、他にも数点はあってしかるべきものと思われます。それにしても、何かが欠けてるなんて大切なことに、落札した後に気がつくというのには本当に困ったものです。
いや、本当に困ったものなのではありますが、ですがしかし、昭和10年当時、『婦人之友』を講読していたような中流家庭では、すでに女学生は洋装で1年を通していたらしいこと、主人にも男児にもパジャマが用意されていたこと、風呂がガス風呂になっていること、食堂の戸棚にナイフ、フォーク、スプーンの置き場が設けられていること、など、考えていた以上に生活の洋風化が進んでいたことには驚かされますし、ワードローブには必ず帽子が含まれていること、箒や はたき だけでもそれぞれ数種類用意があったこと、石炭や炭の置き場があることなど、当然ですがとっくの昔に生活の場から姿を消したものが確認できます。戦前昭和の中流家庭のあり方を伺わせて見ていて飽きることのないユニークな資料です。
■こちらは戦後の暮らしに関連して。「一人分一軒分持ち物標準図解」から12年後の昭和23(1948)年、東京の技術資料刊行会が発行した『DEPENDENTS HOUSING』が今週の2点目。
日本語タイトルを『デペンデント ハウス 連合軍家族用住宅集区 建築篇・家具篇・什器篇』とするこの本は、アメリカ進駐軍軍人とその家族ための住宅と住環境についてまとめたもの。実際に建設・生産された建物や生活用品の写真と、それらを日本側に発注した際の詳細な仕様書とから成るものです。同じ日本語の扉に「米太平洋総司令部技術本部設計課設計 商工省工芸始動所編」とある通り、ここに掲載されているものは全てGHQの設計・指導のもと、日本側のスタッフが「日本国内の何処に於ても入手可能の資材を以て」(建築責任者であり技術指導にあたったクルーゼ少佐の序文より)建設・製造にあたったようです。
1964年に日本に返還され、その跡地にオリンピック関連施設が建設された代々木の「ワシントンハイツ」を中心に「満鉄アパートメント及陸軍省アパートメント」など、それぞれ住区の全体像、何タイプにも分かれていた住宅、学校や教会、使用人宿舎やクラブハウス、スーパーマーケットやガソリンスタンドなど外観の写真に始まり、タイプ別の住宅内部のレイアウトと椅子、机、ベッドをはじめとする家具や照明器具、簡易型のシステムキッチン、さらに、冷蔵庫やオーブン、卓上トースター他ガス・電化製品、鍋や薬缶など調理用品、水差しやカトラリーなどテーブルウェアまで、現物の写真多数に建築物から雑貨に至るまで、これさえあればいますぐ作ってしまえそうな詳細な英文仕様書が付されています。
建築写真を担当したのは渡邊義雄。巻末の和文による解説は約40ページにわたり、実際に計画に携わった日本の担当者が寄稿。「建築篇」ではクルーゼ少佐の序文の他、網戸武夫、度会正彦などの名前があります。また、家具篇には豊口克平の長文があり、末尾の担当者名一覧には剣持勇の名前もありました。
クルーゼ少佐がその序文のなかで、「本書に示された住宅は連合軍家族の大部分に適合するものと考えられるのであるが、又同時に日本人にとっては新住宅・新生活様式の先駆と見做され得るものである」と云っていますが、日本人の戦後というのは、これらを手に入れるための歩みだったのかも知れません。
■もう10月がやって来てしまうだなんて! - ということで、来年1月の即売会の日程が決まり、付随して目録原稿の締切日も申し渡され、それが、な、なっ、何と11月19日。この即売会、小店は次回で5回目の参加となりますが、目録の締切日が毎年毎年、すこぉ~しずつ前倒しされて来た結果、今年はとうとう11月19日なんていうことになってしまいました。11月には他にもいくつか仕事が入っていることもあり、10月下旬より行くつもりでいたパリ、今回またしても見送ることに決めました。うう。たいへんに無念である。
この決定で時間は確保できるのですが、今度は目録用の商品を揃えられるかどうかという心配が再び頭をもたげてくることに。うう。問題は一向に片付かないときたもんだ。
といった次第で、ますます厳しい状況がどうやら私を待ちうけているようす。来週にはスタートしてしまう2013年最後の四半期、なお一層気を引き締めてかかりますはい。
■最初の画像は、今週ようやく全冊落丁等確認、値段をつけ終えた雑誌『FORTUNE』の大ヤマから。1930年代に発行された分より、印象の強い表紙や掲載されている広告を画像にとって並べてみたものです。
今回入荷した中で古いものは1931年、新しいものでも第二次大戦終結後数年の間に発行されたもので、アメリカン・アール・デコ花ざかりの頃のものを中心に、店頭に陳列いたしました。
表紙は表情のある紙に特色印刷、中面には、アール・デコ期のファッションと自社の自動車とを並べ、毎回銀色を使って統一感のある広告を展開したキャデラックの広告が毎号掲載されるなど、とくに発行年度が早いものほど贅沢な印象。1930年代発行分に掲載されている女性写真家マーガレット・バーク=ホワイトの写真は、とくに一見の価値ありです。
40年代に入ると徐々に戦時色を強め、ナチス・ドイツや日本に関する記事も増えますが、まさか商品宣伝とは思えない、けれど投資家向けには意義があったに違いない戦闘機や爆弾の広告まで載っているところは、この後の歴史のなかであからさまになっていく資本至上主義国家・アメリカならではと云えましょうか。
毎回繰り返し「毎号1ドル、1年講読なら10ドル」と表紙と背に記載するところもいかにもアメリカですが、ともあれ当時これだけの価格をつけていた高級雑誌『FORTUNE』、戦中期のものだけで約50冊(但し、6冊を1冊にまとめた合本3冊を含む)というまとまった量での入荷は稀。この機会に是非店頭でご覧下さい。
■「令嬢アルバム」と書かれた入札用の封筒をつけて、市場の壁側にひっそりと置かれていたダンボール箱。気付かずに見逃すところを、日月堂はこのテのものが好きなのをご存知のご同業に教えられて見始めたのが運のつき…尽きたのか、それとも付いたのか、は いったん措いて。
写真アルバム3冊にびっしりと貼られたスナップ写真、そして、写真館で撮影された数十点の肖像写真には、明治42(1909)年に生まれ、大正4(1915)年から4~5年をパリで暮らし、さらに1926~1927(昭和1~2)年をイギリスのクイーンズ・カレッジで学んだ文字通りの令嬢の、子宝にも恵まれた結婚直後までの足跡が残されていました。
令嬢の名は松井貞子。松井慶四郎男爵の次女で、三つ違いの姉・千代は、結婚して後、田中千代となります。
貞子は慶四郎が清国公使館赴任当時に生まれ - 姉の千代とともに、白人の育児係と一緒におままごとをしている写真有 - 、慶四郎がフランス特命全権大使を命じられると、一家はフランスへと渡ります。パリとその周辺で暮らしていたその当時の写真がおよそ半数を占めており、パリの写真館で撮った写真も。テディベアや人形で遊ぶ様子、ピクニックや小旅行、そして渡航や帰国の船内での様子などまで、その優雅な生活、とくに、季節や場所に相応しく用意された子供たちの - 赤ちゃんの時からティーンエージャーの頃までの - 高級洋服がここまでまとまって見られる資料にはそうお目にかかれないのではないかと思います。
貞子の兄で後にフランス大使なる長男のオカッパ頭もなかなかのものですが、頭のリボンから靴の先まで、貞子の洋装はどこをとって見ても完壁。なるほど、姉である田中千代という人の洋装に対する深い探求心も、こうした還境を背景に育まれたものだったのかと深くうなずけます。
貞子は日本では聖心女子に籍をおき、趣味は乗馬。かなり熱心で腕前も確かだったようで、「西中尉の名馬 ウラヌス」というメモとともに、騎乗にあって見事な柵越えを披露した写真も残されています。
田中千代がヨーロッパで集めて来た洋書類を大量に仕入れたのがちょうどいまから1年ほど前。実は、昨日、PCの前で調べるまで、田中千代と松井慶四郎一家との関係など全く知らなかったのですが、田中千代と小店、何だかとてもご縁があるようで驚きました。これはやはり運が付いたと思いたい。
■今週はもう一冊。1934年に上海のKELLY & WALSH社から発行されたビジュアルブック『PEKING STUDIES』。著者のEllen Catleenはオランダの在中国大使夫人。ライカで撮影した写真とのコラボレーションで、タイポグラフィやイラスト地図、そして本文ページ中、お洒落で機智に富んだイラストやカットを提供しているのはシーフー。「フルネームをFriedrich Schiffというオーストリアのイラストレーター・漫画で、中国および極東で新聞や雑誌、書籍、広告などの仕事についていた」といったことは、いまからちょうど2年前の → ここでご紹介しています。
『PEKING STUDIES』は『SHANGHAI』と比べるとあくまで写真主体というあたりが異なりますが、その分、不思議な古道具屋や路上の散髪屋、辻占、物乞いまで、人々の暮らしと表情をとても丹念に拾っているのが印象的。また、都市内部の自然や神社仏閣とその周辺還境まで、細部に渡って当時の様子を伝えてくれる、貴重な資料となっています。
カバーがないのが残念ですが、日本ではあまり見かけない本です。
■先週予告した分のこのスペースでのご紹介は、また一週間伸びますが、明日には店に、1ドル360円の当時、東京放送の撮影技師が残した写真アルバムが2口分(パリで荻須、佐藤敬等画家に会い、1960年代はじめの韓国、北朝鮮に取材した写真含む7本分)、広告マッチのラベル26冊+1箱(!? … 本当に片付けられるのか疑問)、無声映画~トーキー初期の映画スチール絵葉書・スクラップブック等8冊、大田黒元雄の「音楽と文学社」が発行した大田黒の著書『露西亜舞踊』等7冊、クセナキス署名入り図録、などが入荷いたします。
■急遽出掛けることにした先週土曜日の五反田の市場。お陰さまで出なおした甲斐あって、久しぶりの大量入荷となりました。一番の大物はもう少し目を通す必要があり来週にまわすとして、先ずは、うなるほど出品されていた雑誌のコレクションから狙って落札した『JAPAN IN PICTURES』8冊にご登場願いましょう。
『JAPAN IN PICTURES』は『アサヒグラフ』の英語版。いわゆる対外広報=プパガンダの役割を果たす目的で発行された月刊誌です。『アサヒグラフ』と比べて市場に出る頻度も格段に低いのは、対外広報誌-国外で流通したメディアの宿命といってよいかと思います。
今回入荷したのは1936(昭和11)年発行分の内の2冊、1938(昭和13)年発行分の内の6冊。1936年といえば国内では二・二六事件、海外ではベルリン・オリンピックが開催され、同時に次のオリンピック開催都市として東京が選出された年であり、1938年はナチス・ドイツによるオーストリア併合、国内では国家総動員法が施行され、東京オリンピックの開催を返上した年。この時期に、よりによって小店に入荷するとは、何やらちょっと因縁めいていますが、それはさて措き。
同じ時期の国内向けのグラビア雑誌が軒並み戦時色一色へ様変わりしていくなか、『JAPAN IN PICTURES』の方はといえば軍事はもとより政治や経済などは時々顔をのぞかせる程度。日本文化の紹介と、そうした文化や留学生を介した友好的海外交流の様子が主。なかには銀座の大規模カフェーやレビューの紹介、「TENUGUI」なんていう記事まであって、同時期の本誌『アサヒグラフ』と比べても、おそろしく牧歌的な内容に終始しています。日本はこの当時、とくに日中戦争をめぐって国際的な批判にさらされており、これを懐柔し或いは糊塗するために採られたのが、こうしたソフト路線だったといわれます。
表向きに演出された顔と、実態との乖離 - こうしたものを日々扱っていると、勢い、表側の顔に対して懐疑的になろうかというものでして、がしかし、それもあながち誤りではないんじゃないかと、最近の諸情勢を見ながらそう思います。
尚、紀元2600年=1940年にオリンピックと並んで東京・月島で開催される予定だったのがやはり中止に追い込まれた万国博覧会や、日本が誇るアジア号を外国人にも是非利用してもらいたかった満鉄(2点とも左の画像に採りました)など、広告にも一見の価値あるものが多数含まれています。
■プロパガンダついでに2点目はドイツから。画像中、大きい方の表紙と見開きは『GERMANY. THE OLYMPIC YEAR 1936』でオリンピック開催の1936年にドイツで発行された英文のビジュアル・ブック。オリンピックを契機にドイツの国土と国民、国力をアピールしようというもので、右の画像にとったメインスタジアム他オリンピック関連の最新施設はもちろん、新設の道路や橋、ドイツの誇る飛行船ツェッペリン号、ドイツ各地の観光名所、額に汗する労働者、明るい少年少女、円満な家庭、そして、総統と、当時のドイツのご自慢を網羅した格好となっています。
その本の上に並べたのがナチス豆本の通称をもつ『Der Fuhrer』のシリーズ。1937年から1938年にかけて刊行されたミニチュアサイズの書籍です。
タイトルにある通り、ヒトラーの生い立ちから功績、著名な演説や活動などを選び、主にビジュアルを使って豆本に仕立てたもので、戦場でもポケットに入れて携行できるように作られたものだと聞きます。戦場の最前線にまでもっていけとはもはやヒトラーは神、ナチスは宗教。もっともその点では、「神国思想」を徹底された当時の日本はさらにその上をいっていたわけですが。
とこで以前一度入荷した際に詳しくご紹介した『ヨクサンマメグラフ1. シンガポール・カンラク』が再入荷。シンガポール陥落は1942(昭和17)年のことなので、もちろんナチス豆本を手本にして作られたものですが、しかしこうして並べてみるとサイズから裏表紙の要素とレイアウトまで実にそっくり。
第二次世界大戦の同盟国だったドイツと日本ですが、戦後70年近くとなったいま、戦争の反省の上に立った国家のありようという点で、いつのまにか大きく水をあけられてしまった気がしてなりません。
■今週はこの他、その表紙のデザインはアメリカン・アール・デコの最高峰のひとつ -後日、ここでご紹介します! - 1930年代創刊初期から1940年代発行の雑誌『FORTUNE』が合本を含め私の腰の高さまでの量が一挙に入荷。白井晟一の書・建築関係の書籍2冊、久しぶりに入ったSD選書等建築関係書約20冊、店主最初の職場がらみで『ビックリハウス』約80冊と『ゴメス』約10冊等、グラフィック・デザイン関係書籍10冊、戦後に継続していたとは知らなかった『プレスアルト』1954年発行分1冊、デザイン批評家旧蔵のスナップ写真 - デザイン関係賞審査・受賞式やサイン、街並みなど - ダンボール1箱…などが入荷し手がつけられないものだから布をかけて見なかったことにしてます。へたをするとずっとそのままになるんじゃないかと悪い予感もしておりますので、ご覧になりたいお品物のお心当たりなどございましたら店主までどしどしお申し出で下さい。みなさま是非我儘放題お申し付け下さいますよう、何卒よろしくお願いいたします。
■ベルリン・オリンピックとプロパガンダをめぐって入荷のあった今週、フェイスブックを見ながら原発の問題と開催が決まった東京オリンピックのことを考えていました。
原子力規制委員会の資料より → http://radioactivity.nsr.go.jp/ja/contents/8000/7917/24/194_0731.pdf
ウォール・ストリート・ジャーナルより→ http://jp.wsj.com/article/SB10001424127887324481004579080492186382408.html
ロイターより → http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE98I01Y20130919?pageNumber=1&virtualBrandChannel=0
目先の経済の若干の伸び、オリンピック効果による短期的な活況は、実際、小商いの小店のようなものにとって、何よりも有難いことです。というか、それを歓迎しない人なんて、一体どこにいるのか聞きたいくらいです。
でも、それをぐっと我慢してでも、解決しなければならない問題がある。それはいまも続いています。原子力規制委員会のデータに現れたの数値が、いますぐ人体にどんな影響を与えるのかということはいったん棚上げにしたとしても、それでも尚、解決しなければならない問題がある。上の数値は、そのことを明らかにしています。
オリンピックと原発とは別問題だという人も多いようですが、海外の多くの人がそうは見ていないことは、オリンピック招致の際の海外メディアの質問がそれに集中していること、そしていまも、フクシマの問題に国内のメディアよりむしろ海外のメディアの方が注視と分析を怠らず続けていることからも明らかです。オリンピックと原発は別問題だとする見方は、この島国の内側だけでしか通用しないのだということにそろそろ気付かないと、いくら英語ができるようになったとしても、グローバル化への道はあまりに遠いんじゃないかと思う今週でした…。