■昨夜あたりから、桜が花弁を散らし始めました。早いもので来週はもう4月の声が聞こえます。お仕事や学校生活のなかで、新たなスタートを切ろうとしている方もいらっしゃることだと思います。小店店主も明日締切の案件がクリアできればこの冬の間の宿題が全て片付き、晴れて春を迎えられる………はずでした。がしかし予定は未定とはよく云ったもので、これが終わらない。ううううう。
こうした次第で大変恐縮に存じますが、今週は新着品の更新を一回お休みさせていたただきます。悪しからずご了承下さい。
店は来週もいつも通り火・木・土曜日で営業いたします。ご来店のほど、よろしくお願いいたします。
■画像は20世紀はじめの古い写真の紙焼きを、ソリッドなスチール額に収めた日月堂あるじ只今お気に入りのウォールツール。左は古い布製の靴を物撮りした写真、右側は路上でブーツを売っている裸足の少年の写真で、異様な存在感を備えていました。
すでにオブジェ化していたような写真に、TOMIZO(田代富夫)さんにお願いしてオリジナルのスチール製の額をつけてもらったのがこの2点。 額に使われている鋲やとめ金も自作なら、背景に使われている深い黒と白のコラージュもTOMIZOさんの自作。凝りに凝った仕様の額装で、オブジェとしての重みを加えていただきました。販売は2点一括で。ご興味のある方を是非店頭でご覧下さい。
来週、またお目にかかります。引き続き、よろしくお願いいたします。
■サイズも紙質も印刷手法もデザインも統一感なく、ばらばらでつかみどころのないこの紙たちは一体何か? 随分古い話になりますが、これとよく似た印象の、けれどもっとペラペラの紙モノと、セメント色をして軽くてザラザラした小さな円形の物体がそれぞれ数種類、ワイマール共和国と呼ばれていた時代のドイツから帰朝した人の旧蔵品のなかから出てきたことがあります。何だか分からないまま、市場で落札したその旧蔵品をまるごとお客様にお見せしたところ、「ああ、これはレンテンマルクになる前の紙幣と貨幣。」と謎はたちまちのうちに氷解。しかしそれにしたって紙幣とか貨幣とかいうものがこんなにチープでいいものなのかと尋ねれば、これまたたちまちにして「ワイマール共和国のハイパーインフレで、とにかく造っても造っても追いつかなかったからね。」とお答えをいただきました。当時、貨幣も紙幣も州ごとに造幣されており、しかも単位もどんどん変わっていったらしく、その度にデザインも変更されたらしい…といったことを教えていただいたのもその折のことでした。本日落手したのはワイマール共和国当時のペニヒとマルクの紙幣ばかり約70点。デザインの重複も少なく、コンディションも上々です。
発行年のあるものはほとんど1921年と記載、また、中にはまだ辛うじてエンボス空押しやナンバリングの入っているものもありますが、ベルマークかと見紛うばかりのチープなものなども。それでもまだ特色印刷や、なかには石版刷のものなどもあって、4色分解のカラー印刷技術がまださほど普及していなかった当時の印刷技術が幸いして、印刷物としての魅力は他の1920年代の多くの紙モノに比べても、決して引けを取っていません。さらに。ハイパーインフレというドサクサ紛れてのことか、万策尽きて何でもありだったのか、階段から転げ落ちる聖職者(と思われる人)だとか、蛇のような生き物を囲んで何やら談議をしているらしい7人のおじさんだとか、野の草を食む口の反対側から同時にフンをしている馬のシルエットだとか、人面猿としか見えない生き物だとか、およそ紙幣にはふさわしからぬデザインがあるのも不思議。
余白を埋めるテキストも長文が多いので、ドイツ語が読めればますます面白いに違いなく、それが残念。
2013年の日本でアベノミクスの目指す目的とは全く異なる原因によって引き起こされたインフレの遺産ともいうべきものですが、一枚一枚眺めながら、がしかし「インフレ」という点では同根なんだなと、そんなことを考えさせられる紙モノたちです。
■こちらは活版印刷で使われた装飾用アイテムのカタログともいえる『花形見本帖』。表紙には「大正14(1925)年改正」とあります。見本帖の版元、つまり商品の製造販売元は東京は小石川区にあった「博文館印刷所販売課」。明治時代に出版社として創業すると総合雑誌『太陽』の創刊で成功、後にトーハンとなる取次を発足、広告会社として内外通信社を設立するなど興隆を極めた「博文館」が開設したのが「博文館印刷所」であり、後にこれが「共同印刷」の前身となります。
『花形見本帖』を手にする度に関心するのはその多彩なアイディアです。とくに飾り罫にも使える花形は同じ柄4本で大きな飾りになるし、3本あれば罫線の角=コーナー部分の柄がつながるように出来ているなど、実によく考えられている上に、デザインとしても素晴らしい!
あらゆる意匠がいま、データ上で簡単に入手できるように思い込みがちですが、いやいやそれでもまだ、活字(文字)から花形(装飾)のひとつひとつまで、細部にわたって緻密に構想され、繊細にデザインされていた活版印刷所の装備には到底及ばないゾと断言しておきたいと思います。断言できちゃう理由については『花形見本帖』を手に、是非実感されたし!
■今週はこの他、昨日の市場に出品された丸谷才一旧蔵書から『マン・レイ』他ベル・エポックのパリを中心とした和書18冊(ページの角を折ったもの多数)、戦前日本の化粧品関係の空き箱15点、パール・バック署名入り書簡2通(タイプ打ち)などが明日、店に入ります。
東京では早くもこの週末、桜が見頃を迎えるようです。季節ばかりが矢のように飛んでいきます。花にうかれる前にもっと働けという声と、お願いだから少しは休ませてくれという声とが頭の中でせめぎ合う、小店店主にとってはむしろ木の芽時とでも呼ぶべき季節なのかも知れません。あ。大丈夫。暴れません。いやほんと。
■今年の春はかなりのせっかちと見え、西では桜花もひらき始めたとか。旅心そそられる春の到来に、新着品は戦前の渡航関係の紙モノ各種から欧米各国のホテルから豪華客船まで、バゲッジ・ラベルのコレクションを。
一部サイズ違いを含めると80種を超えるコレクションは、後世のコレクターによる蒐集品かと思いきや、戦前日本のナショナル・フラッグ・キャリア日本郵船 即ち 略称N.Y.K. 即ち 並びに こちらも同じくナショナル・フラッグだったイギリスのキュナード・ラインのラベル複数に「Shinji Yanai」と署名があること、複数の航路を利用していることなどから、戦前に欧米各地に赴いたMr.ヤナイ その人が実際に行った先々から招来したものと思われます。
そのヤナイ氏、鹿島丸でポート・サイドへ行き、箱根丸でマルセイユへと赴き、シベリア丸で横浜に帰還。途中、イギリスのサザンプトンからキュナード・ラインでニューヨークへと渡っています。もちろん、どの船もファースト・クラスのお客さま。一緒に残されていたホテルのラベルに中欧や東欧の地名の記されているものがあることから、往路は海路、復路は陸路をとったものと推測されます。
戦前にこうした渡航体験をもつ人は、例えば外交官であるとか学者であるとか商用であるとか、おおむね渡航の目的に あたり がつくものなのですが、今回は手掛かりがこのバゲッジ・ラベルのみとあって、ヤナイ氏の身分もその旅の目的も不明。カイロ、サン・セバスチャン、アレクサンドリア、ロンドン、マンチェスター、パリ、ベルリン、ドレスデン、ウィーン、ザルツブルク、ジェノヴァ、ナポリ、ブダペスト、プラハ 等々 … と旅装を解く暇もなく延々と続いたのであろう旅の日々に、ヤナイ氏の心に去来した思いとは一体どんなものだったのかと想像するばかりです。
■杉本隆治著『パンとケーキ』昭和5(1930)年・初版。発行所を「杉本隆治商店」とし、扉には予め「贈呈 (贈呈先を書き入れる空白) 殿」と刷られているところから見て、杉本隆治を代表とする製パン製菓材料の販売会社が出した自費出版物であり、PRのための書籍ということになります。杉本隆治は「米国ミネアポリス、シカゴ両市の工科学院に学び、製麺麭製菓の学術を修めたる最初の日本人」であり、当書では「製パン製菓に関する一般概念と、未だ我が国の市場に現れざる製品中、日本人の嗜好に最も適当せるもの数十種を挙げ、其の配量を正確に、製造法を懇切に記述」したといいます。
面白いのは当書の贈呈先で、墨書きされたそれは「日本郵船株式会社 横浜支店司厨部」。さらに見返しには、「N.Y.K.LINE Kashima Maru」の旧蔵シールの貼り込みも。船内で供される洋食といえばフランス風だとばかり思っていたのですが、アメリカ仕込みのメニューも存在していたのかも知れません。約100種に上ろうかというアメリカ仕込みのパンや洋菓子のうち、実際にどのようなものが作られていたのか、興味は尽きません。尚、巻末には、粉や乳製品などの食材から道具まで、関連商品の広告も多数収められています。
■今週はこの他、戦前海外の観光案内、日本航空運輸の定期航空と航空郵便関係パンフレットなど戦前渡航関係資料がバゲッジ・ラベルとは別に3口、プレス・ビブリオマーヌの『カメラと機関車』他8冊、中村宏が寄稿した『機関』他美術関係の雑誌・資料約10点などが明日には入荷いたします。