■通例に戻って先ずは営業案内から。今週、店は普段の通り火・木・土曜日・各日12時~20時で営業いたします。企画展「2007.東京.町工場より」も22日(月)まで引き続きロゴスギャラリーで開催中。店、企画展ともども、何卒よろしくお願いいたします。 ■先週金曜は神田の市場に行けず、しかしだからといって新着品なし、ではございません。先週月曜日の神奈川県大市会の落札品が入荷します。最初は1922年にミュンヘンで発行された『SCHNACKNBERG KOSTUME/PLAKATE UND DECORATION』。シュナッケンベルク…? 正直いって全く知らない名前。収められている作品―なかでもこの人デザインの衣裳を身にまとうダンサーたちの写真がどれもあまりに退廃的なのに賭けてみることに。落札できたの(しかも強気の上札…)に慌てて、少々調べてみたところ、シュナッケンベルグは最初ユーゲント・シュティールの画家としてスタート、その後パリに出てロートレックの作品に影響を受けポスターを手掛けるようになったようで、確かに作風はロートレック風。ロートレック作品の持つ華やかさに対し、どこかしら暗さやゆがみ、ある種の“あやしさ”を湛えている点が個性といえましょうか。ドイツを中心にヨーロッパでは一定の評価を得ており、彼の手掛けたポスターのリプリントは今でも盛んに販売されている一方、シュナッケンベルクの作品集はこの本が唯一で、作品のほとんどを多色石版刷で収めていることもあり、評価の高い書籍のようです。当初圧倒された衣裳の仕事についても調べるべく、手元にある資料を片っ端からあたったもののヒントさえなく、ドイツの舞踊関係サイトに僅かにダンサー名を留めるのみ。こちら方面は完全に私の見込み違いでありました。この本、埃シミの状態などから長く日本国内にあったものと思われ、だとすればまたいつの日か、買おうじゃないかという日本人も…現れるものと思いたい。
■こちらも神奈川からの新着品。タイトルの一部を図案に置き換えたなかなか心憎い装丁は、『薔薇の答』。アンナ・スラヴィーナと益田太郎冠者との共著による戯曲で大正10年発行の非売品です。益田太郎冠者は鈍翁益田孝の次男。海外遊学後、実業家として手腕を揮う一方、帝劇役員を務め、彼の地で見聞したオペレッタ、コントを日本に広めました。太郎冠者の作詞した「コロッケの唄」はかつて有名で、私もなぜか知ってます。金持ちの道楽はこうでなくてはいけません。パリのカフェを舞台とする『薔薇の答』は帝劇で上演されたようで、守田勘弥、坂東玉三郎、森律子などの舞台写真が本の厚さのほぼ二分の一を占めています。女性役の衣裳、ヘアスタイルはいかにも当時尖端の「モガ」風。さて、問題はもう一人の著者、アンナ・スラヴィーナ。もう四~五年前、ある勉強会でロシア貴族の血を引くハンセン病詩人のことを知りました。彼は日本で生まれ、戦時中に発病。孫をたった一人で療養所に入れるのは忍びなく、一緒に入所した祖母=ロシア人が帝劇にもからんだ女優だった人で…と、そうした記憶が残っていました。この祖母というのが共著者であるスラヴィーナその人。今回、改めて調べてみると、北大のスラブ研究センターのサイト内、「日本における白系ロシア人史の断章―プーシキン没後100年祭(1937年、東京)」のなかでA.D.ドルツカーヤの名で紹介されています。帝劇との関係は記述がなく、これは私の記憶違いの可能性が高いのですが、モスクワ・マールイ劇場で演劇を学び、ワルシャワの帝室劇場の舞台女優を経て、ハルピンで松旭斎天勝一座に加わり来日、「スラーヴィナ劇団」を結成すると日本全国を巡業、小山内薫校長の「松竹キネマ」の俳優学校で教鞭をとり、「白系露西亜人文芸会」で理事を務め、やがて孫とともに草津温泉町に移り、この地で1966年に死亡-と波乱万丈の人生を送ったことが分かります。演劇にせよ舞踊にせよ元来資料が乏しく、ましてや映画のようにその作品を実体として残すことさえできない舞台芸術に関わった多くの人たちの宿命とはいえ、こんな人生を送った人の評伝が一冊も存在しないというのは、いかにも淋しいことではあります。 ■なぜ古本屋が?もはや何屋か分からない…とまぁ色々と疑問の渦巻く「町工場」展ですが、会場に居てひとつひとつの機械部品をつくづく眺めていると― 機械部品とは、産業革命以降続いた近代社会のなかで、技術という人が耕した土壌に発生した森のように見えてきます。デザインしようという人の意志や意図を一切排除し、あくまで技術に奉仕するものとして絶対的な規制を受けながら、それぞれが有機的に結びついてある技術を完結させる部品は、妥当な例えではないかも知れませんが、生態系を形作る樹木や生物のように、とても美しく力強いものです。淡々として潔いものです。町工場の機械部品だといって簡単に廃棄する風景は、近代という時代の棄景にも見えてきます。19世紀末から1920~30年代に生まれた思想や起きた事象、一言でくくるとするならモダニスムを、国を超え、事象の大小を超えて眺めてみたいというのが私の興味の中心であることに変わりはありません。だからこそ、その時代に生まれ、いまこの時代に実にあっさりと捨て去られるモノたちの、時代の行方を見届けること。そして時にそれに抗うこともまた日月堂の仕事だろうといえば大げさに過ぎますが。「町工場」展実行の衝動に駆られた理由は、会場でご高覧くださいますよう蛇足ながら…。会期中、水曜・金曜は夕方から会場に入ります。
■いよいよ本日、10月12日(金)より、企画展「2007.東京.町工場より」が始まります。陳列は粛々と進行し、一方、手を動かしながらも私の頭のなかは例によって混乱を来たし、それでもとりあえず、幕を開ける格好は整えられました。混乱を来たしたのは主に古本・紙モノのに起因いたしまして、「印刷解体」などに比べると淋しさは否めず、何で「アレ」を持ってこなかったのだろーか、とか、「レイ」のぶつはいずこへ、とか、いまさら考えたところで遅いというものでしょう。会期が長いこともあり、できれば来週にはまた追加投入したいものです。しかし今回、主役は何といっても「機械部品」と「工具」です。この週末にお出掛けの皆様には是非、そちらを重点的にご高覧いただけますよう、心よりお願い申し上げます。 ■開始前から早々に…本当にすみません。お詫びが数件。一部の告知情報で、解体直前の町工場で撮影した300カットの写真を展示”と紹介されておりますが、展示スペースの都合により、撮影した約300カットから、相当に数を絞っての展示となりました。
当初、会場壁面に隙間なく写真展示を、と考えていたのですが、実際にそうしてみると細かな機械部品類と雑然たる工場風景の写真がお互いの存在を消しあう上にうるさ過ぎることが判明。このための善処策として、写真の点数を減らしたことによるものです。また、会場に並べてみると比較的スマートなフォルムの商品点数が多いせいか、すっきりしたイメージにまとまりました。 “廃墟”をイメージされている方には、少々肩透かしの感もあろうかと存じます。ご来場にあたりましては、こうした点について、どうかご理解くださいますよう、心よりお詫びかたがたお願い申し上げる次第です。…といった調子で色々と不備な点等多々あろうかと存じますが、10月22日(月)までの期間中、一度是非お運びくださいますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。それでは、会場で!
■来週には陳列・初日だというのに、ここにきて買ってしまったダンボール1箱。「町工場」展への準備は搬入直前まで続きますが、そちらと店で扱う商品では―とくに今回―全然別でありまして、こちらは店頭新着品のご紹介。最初の画像はパリのレビュー小屋(ミュージック・ホール) 「カジノ・ド・パリ」が発行した『LA REVUE DU CASINO DE PARIS―ON DIT CA・・・』。レビュー華やかなりし頃の舞台の情景・出し物やスターたちの姿を、全てイラストで表現したもので、イラストレーターとして「A Barrere」の名前が記されています。表紙のみならず中面・折丁仕立ての12Pが、全てカラー石版刷り。さすがは。1930年代にはパリのこの手の店のなかでも最高級店と称せられただけのことはあります。カンカンはもちろんコミカルな群舞、スパニッシュ・ダンス、黒人レビュー、シュレンマー風の衣裳を着けた踊り手、果ては水槽のなか半裸で踊る美女やらキューピーの隊列(かぶりもの…?)までが並ぶ賑やかさ。さぁて全体を眺めてみるかと折丁全部広げてみれば……約3m40cm。店でもこうしてお見せできれば楽しかろうと思ったものの、何しろ三歩で行き止まりの小店、ぜーんぜん収まらないのでした。奥付がないので年代の特定の難しいところですが、贅沢なつくりの一方で、ミスタンゲットの扱いが小さくかつジョセフィン・ベーカーの名前が出てこないことなどから、第一次大戦終結以降、1930年に入るまでの間に発行されたものではないかと(あくまで推測)。
またこれと同じクチで1923年発行の高級婦人月刊誌『ART・GOUT・BEAUTE』3冊も入荷。残念ながらムレ・水シミなどダメージが大きく、こちらは破格値で出す予定。ポショワールのスタイル画多数を所収しているので、考え方・使い方によってはかなりおトクです。 ■続いて下の画像、日本で最初の百貨店・三越発行のPR誌でその名もそのまま『三越』。昭和4年から6年にかけ月刊で発行された内の21冊が一括入荷。長い発行歴のあった同誌でも、表紙のデザイン・内容ともに、一番充実していた時代ではないでしょうか。画像のなかでペガサスの表紙は杉浦非水、クリスマス号に相応しく、西洋人形が箱に入ったイラストは新本勝。目次をちょっと眺めれば北村兼子、松野一夫、巌谷小波、江見水陰といった名前を拾うことができ、しかもモダンな商品の数々がこの当時としては再現性の高い写真で紹介されており…。確かに、古書好き、モダニズム研究に関係する方たちに、よく知られているのも頷ける内容。その月のカレンダーが印刷された厚紙が入っているものも多く、このカレンダーに各種商品の陳列(フェア)や展覧会のスケジュールがびっしり並んでいるところなどは、パリの百貨店が盛んに発行した「アジャンダ」の発想にも似ているようです。いまも昔も、洋の東西を問わず、モノを売るために人は実にさまざまなことを考えてきたものだと感心するわけですが、だからといって古本屋が機械部品を売っていいのかしらと未だに疑問を抱えつつしかしダンボール箱1箱…(…→と冒頭に戻って仕事は続く。そして来週の予定はさらにその上のinformationをご高覧のほどお願い申し上げます)。