■12月を目前に、お陰さまで片付けもののご依頼も増えてまいりました。来月半ばまでは休みなく東奔西走の日々。古本屋にとっては何より有難いことです。それでも火・木・土曜日は来週も12時~20時で店を開いておりますので、お出掛けいただければ幸いです。多分、ヘロヘロ。どうかお手柔らかに。 ■西部支部大市の落札品も届いて、さて今週も新着品を。上の画像は戦前日本の化粧品関係・紙モノ約20点からピックアップ。ご存知「資生堂」のパッケージと包装紙、そして「桃谷順天館」「高橋東洋堂」と記された紙箱です。化粧品の紙モノは好きでも化粧品そのものには縁なき私はものを知らず、後者二社はマイナーだと思い込んでいたのが大きな間違い。「高橋」さんはいまも兵庫県でご健在、しかもコーセー「小林」さんが輩出した会社でありました。一方の「桃谷」さんときたら、私の世代なら誰でも知ってるあの「明色アストリンゼン」の会社だったとは水臭い。資生堂は最近も区立の美術館で展覧会が開催されるほどですが、画像でご紹介できなかった分を含めて他の化粧品会社のデザインも全く遜色がありません(私個人としてはむしろ後者のデザインを買いたいほど)。化粧品の価値というものが「美」という主観的かつ抽象的イマージュに置かれる限り、いまも昔もデザインの力=アウラに与るところ大なのでしょうが、とすればどちらを向いてもデザイン流行のきょうびの日本には、アウラという幻を売る商売ばかりということにはならないか。製造技術から24時間コールセンターまで海外に譲り渡していくような状況ってどうなのよ。そもそも資本主…(あまりの飛躍にあとは黙殺するのがよろしいようで)。
■東の資生堂に西のクラブ化粧品(と書いたところお客様よりご指摘あり、正しくは「東のレート西のクラブ」。恥ずかしながら訂正いたします。買って下さった上にお教えいただけるとは。本当有難うございました)。そのクラブ化粧品がデザインに関わった『松竹座ウィークリー』と『松竹座ニュース』、併せて約40点程まとめて入荷いたしました。画像は昭和4年発行の『松竹座ニュース』より、いずれも巻頭に映画「メトロポリス」の広告の入った4点です。“全日本の大壮挙横断封切!”という惹句もあながちオーバーではなかったようで、この年の四月三日に“大阪・東京・京都・名古屋の五大松竹座”と東京・横浜から各一館の“全国六大都市の七大代表常設館によって名画「メトロポリス」の日本縦断一斉封切”が行われました。というのもこのニュースにありました。奥付を見ると4点の内、「道頓堀松竹座」と「東京(浅草)松竹座」の2点が三月半ばから「至四月三日」と封切の直前までに配られたもの。残る2点は「新京極松竹座」とあり、こちらは三月半ばまでと封切後に配られたのがそれぞれ1点。直前広告にはカラー印刷が使われ、ページ数も多く割かれるなど最も力が入れられています。六大都市の七館中、三都市三館分が揃ったゾ、何ならちょっと辛抱してコンプリートを狙おうか、へっへっへ。などとたくらんではみたものの、館ごとに事前広告・直前広告・封切後広告が存在するようだし(当たり前でしょ)、しかも『松竹座ウィークリー』でもかつて一度、全ページ「メトロポリス」特集を扱ったことがあることから封切館それぞれに特集パンフレットが用意されていた公算が大きいし(……当ったり前でしょ)、コンプリートだなどと軽々に言えたものではありません。しかも12月はおそろしいことに市場の嵐…まずは資料会大市、やれやれ南部支部優良書入札会、ああ洋書会特選市、どうする明治古典会クリスマス大市…こともあろうに年の瀬にきて、むしりにむしられる古本屋。何でもいいから早く売れてくれと、11月末現在それはもう祈るばかりの心境であります。
■新着品のその前に。11月17日(土)は所用のため、店は15:30頃からの営業となります。恐縮ですが、ご注意ください。来週は火・木・土曜の各日12:00~20:00で営業いたします。ご来店のほど、何卒よろしくお願いいたします。 ■今週は古典籍の入札会を除いて神田の市場はお休み。新着品は先週土曜日の五反田の市場の落札品と、自宅でぼちぼち整理している紙モノからとなります。画像上は、フランスの活字鋳造所ドゥベルニ・エ・ペニョ(DEBERNY ET PEIGNOT)社の『今年のフルァベット(LES ALPHABETS DE L’ANNEE)』。つまり新作書体をセールスするために刷られた広告であり、活字見本を兼ねたペラもの(厚めの紙に両面刷り 画像は表と裏)。紹介されている書体は上から「スクリブ」「アシェ・グリ」「アシェ・ノワール」「ユーロプ・エトロワ」の4書体で、1936年頃のものではないかと思われます。「アシェ」体はいずれもカッサンドルのデザインした書体として比較的知られているものでしょう。1937年にはその代表作・ペニョ体を開発するなど、この当時からタイポグラフィの仕事に充実した成果を残しています。カッサンドルといえば先ずはポスターの仕事があげられますが、そこに展開された大胆なパースペクティブは、彼が元来、イラストレーターというより設計家の才能に恵まれていたことを物語るようでもあり、書体の開発に関心が向かったのも自然な流れだったのかも知れません。カッサンドルが作り出した活字は、よくも悪くも時流を反映したものだったために、例えば同じペニョ社が生んだ「ユニヴァース」のような普遍性はもち得なかったようです。書体のデザインとは彼ほどの天才にしても成し難しいものなのでしょうか。いま、パソコン上では実に様々なフォントを使うことができますが、しかしこのなかで生き残っていくものは、活字の時代に鍛え上げられ、基礎をかたち作られたものだけではないかと思うことがあります。
■先週落札した分と、自宅で寝たままになっていた分とを合わせて靴箱約一箱半ほどの嵩となった戦前の外国絵葉書、先ずはざっとより分けて、“いいとこどり”したのを店に出し始めました。画像はその中から。上段・下段は二枚とも『Admiralspaiast Berlin』とクレジットのある絵葉書。真面目に辞書を引くと「海軍省御殿」…ではなくて。という名前の総合娯楽施設。試しにネットで検索してみると、この「アドミラルパラスト」、戦中の一時期にはクラシックの殿堂とでもいった役割を果たしていたようですが、この絵葉書はもっとラフ。一枚は細部までに凝りに凝ったアール・デコ装飾、女性のファッションもデコ調のダンスホール、そしてもう一枚は何と、三層のテーブル席(レストラン)に囲まれたアイススケート室内場です。ともに未使用。残る中段の二枚はともにパリの『アール・デコ博』の記念絵葉書。左はアンバリッドから見た眺望、右はベルギー館を収めたもので、裏面はともにフランス語がびっしりと書き込まれています。こうして見ると絵葉書は確かに立派な資料。あまりの高騰にしばらく腰が引けていたのですが、また少しずつでも落札していかないとダメですね、これは。 ■しばらく手が止まっていた「A LA CARTE」「PRINTED MATTER」にもまたボチボチ追加しております。「A LA~」には前衛美術関係の洋書を、「PRINTED~」はフランス物を中心に紙モノ・額モノを追加していく予定です。このあたり、ご覧いただくにも多少未整なところがあると思いますが、年内から年明けをめどに、再度、構造的に手を入れる予定です。いましばらくこの形式でお付き合いください。新着品には白っぽい本ですが、建築・美術・デザイン関係の書籍100冊強もありまして、こちらは先ず店の棚に入れてから、順次「雑書目録」にアップしていきます。11/16は西部支部の大市で入札してきました。結果は来週にならないと分かりませんが、釣果は来週の当ページでご報告いたします。釣果ゼロ…の場合は一足早く自宅の大掃除と相成ります。どちらが幸いかは、もはや私にも分かりません。
■今週に続き、店は来週も少々流動的なスケジュール。火・木曜日は通常の12時~20時ですが、土曜日は15時半頃からの営業とさせていただきます。二週続いて面倒なことになって、本当に申し訳ございません。来週は、土曜日だけはくれぐれもご注意を…。 ■今週もドイツ語版『CASSANDRE』、ぬやま・ひろし(=西沢隆二)が編集に関わり、木村伊兵衛がグラビア監修を務めた『グラフわかもの』 (珍品!)の1本口、着物の柄見本帳2点、小店としては珍しい(たまには売れそうなものも買わないとね。なんて思って買ったものに限って売れないのも分かっていながらあぁあ買ってしまった)金子国義の銅版画2点などなど、“新着品入荷!”といえる落札点数だけは何とかクリアできたようです。では早速そんななかから。最初の画像は1930~40年代初めにイタリアで出版されたグラビア雑誌4冊の内の二点、1940・41年発行の『LA RIVISTA』です。版型など一見したところフランスの『リリュストラシオン』に似た印象がありますが、さすがに戦時色が前面に打ち出され、画像左側の一冊は巻頭特集に三国同盟各国とその支配下に置かれた地域のレポートを置いています。もちろん、ドイツの頁にはヒットラーの姿が堂々と…。右の一冊は「フィアット」社の特集記事から拾った画像ですが、あの第三インターナショナル塔まがいのオブジェ建築やら斜めストライプ塗装の施された賑々しいスペイン館などが並ぶミラノの見本市の特集、機械をクローズアップし、しかも大胆なカラー処理を施したアヴァンギャルドなグラビア・ド迫力の1P大など、これ以外にも実に見所の多い一冊。さすがは戦中も前衛を否定しなかったイタリア、といったところでしょうか。三国同盟当時の日本ではナチス・ドイツびいきばかりが目立ち、それを引きずるかのように当時のイタリアに目を配る人はいまだに少ないようですが、戦時体制下のグラビア表現ということでは、イタリアも“見るべき価値”充分ありと見ました。
■下の画像、よぉーくご覧いただくと…いや、やっぱり見えないか…表紙の絵の下の方に「SATOMI」とありまして、即ち里見宗次が装丁を手掛けた数少ない和書の一冊で、『洋行百面相』といいます。著者は創立当初より「北里研究所」で幹部を務めた宮島幹之助。発行は昭和11年で、148Pの本文中にも里見がこの本のために書き下ろした挿絵が多数収められています。内容はといえば、失礼ながら、欧米文化に題材をとった何といったこともない笑話集なのですが、書籍の元となったのは、数年間度重なる海外出張を余儀なくされた著者が「倅」に宛てて送った100通近くの手紙だったといいます。時に下ネタも混じるこの100通、“病臥久しき倅を親しくみとることができず”、“家信毎に同じ慰めの言葉を繰り返す勇気も挫け”た時に、ふと思い付いて“異郷での小話を通信すること”にしたのだと。病床にあってこの小話の到来を待ち侘びていたという我が子は、しかし著者在外中に亡くなり、函底に大切に残されていた便りを一冊にまとめて上梓することを思い付きます。“在巴里の里見宗次君がこれを伝え聞き、文句の足らざるを補わんとて、挿絵を描いて送ってくれた。”そして、我が子と同様、病床に呻吟する人たちにとって“一時なりとも慰めとなり、苦痛の緩和剤ともなれば本書の刷成は無駄ではない訳。由来は兎も角として内容はこれ笑談漫記、笑う門には福来るの諺もあれば、敢て一餐に供する次第である。”―宮島のこの心の在りよう。里見のこの心栄え。病をネタに泣かせることを競うかのように量産される昨今のベストセラーとの違い…付言は要さぬというものでしょう。