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22/04/08 お約束の更新です! 久しぶりの縞の古裂と ミュシャも描いた図案集!

■いつもの更新からは数日遅れて、先週末にお約束した新着品のご案内です。
が、その前に営業に関するお知らせをひとつ。今週は資料会大市という古書業者を対象とした市場が開催される関係で、4月14日(木)も臨時休業させていただきます。店の営業は12日(火)と16日(土)のみ、それぞれ12時より19時となりますので、ご留意いただければ幸甚に存じます。
ご不便をおかけいたしますが、何卒よろしくお願い申し上げます。

先週金曜日の市場に服飾専門学校 田中千代学院の旧蔵書が出品されました。小店が知る範囲で同学院から市場に出品されたのはこれで3度目(数週にわたって出品されたこともありますが、この場合は1度にカウントしています)。もちろん学院側の除籍証明付きです。
先週放出されたのはこれまでに比べると格段に量が少なく、かつ、内容もほとんどが服飾文化史、とくに民族服に関する書籍に偏っていました。
小店向きのモードやモダニズムに関する一次資料が少ないなか、とはいえやはり田中千代その人が集めたと思われるものには光るものがあり何点かを落札。
1点目は木版題箋に『古代裂木綿縞類纂』とある裂現物の標本集
深いグリーンの布を貼りわたした桐箱(ツメ付き!)に収められたサンプルは、和紙の台紙枚数にして50枚台紙1枚につき3点を糊付けしているので、サンプル数は全部で150点を数えます。
裂の大きさは大多数が7~8cm角前後となっています。
台紙は、局紙の上に裂サンプルの大きさに合わせて窓を開けた張りのある和紙を重ね、さらにその上に鳥の子和紙をつけた3層で背を糊どめした手製。云い忘れましたが桐箱=帙も当然このために誂えられたものです。
台紙の裏には一枚一枚に「田中千代蔵書」「日本衣服研究所 無断使用お断り」のスタンプがどれも同じ位置に丁寧に押されており、非常に大切にされていたことが伺えます。
田中千代が田中千代洋裁研究所を開設したのは1937(昭和12)年のこと。2年後には早くも生徒急増のため新校舎を設け、師範科を新設しています。
「日本衣服研究所」は1940(昭和15)年、大阪大学理学部繊維科学研究所の付属機関として、発展する田中千代の学園内に設けられた機関
「田中千代蔵書」と「日本衣服研究所」の印がおそらく同時に押されたと思われることから、『類纂』としての成立は1940年以降、一方で時局の変化を考えると1940年から数年の内のことだったのではないかと思います。
縞帖の原点に準じたものか、サンプルはほとんどが布団や野良着などに使われたと思しき木綿の質素なもの。但し、配色や糸の描く線の運びなどに、例えば北欧など海外の織物にも通じる洒落たものが散見され、田中千代ならではの視点やセンスも随所にうかがえます。

外交官の娘であり、20代初めから夫の赴任に伴い海外での生活を体験、外国製の豊かな高級品に触れることが多かったと思われる田中千代ですが、海外では洋装文化やモードだけではなく、多彩な民族文化に関しても研鑽を重ねていたことが、今回、放出された旧蔵書からもうかがうことができます。
そうした人だからこそ、日本国内の生活のなかに根付いた古裂の価値を、当時誰よりも早く、深く理解できたのかも知れません。
サンプルには蒐集した時期や場所など情報が一切ないのが残念ではありますが、戦前の日本で、いち早く生活の中の古裂の価値に気付いた人の貴重なコレクションであり、探したところで二度と同じものが出てくることのない田中千代による天下一本です。

■一見、枡形のような(実際には約22×25cm)手製のポートフォリオに『昔の飾り図案集 全59枚』というタイトルがシールで貼られているのは、アール・ヌーヴォーの作風顕著なフランスの図案集
ポートフォリオも手製なら扉にあたるページもなく、刊行物本来のタイトルも発行元も発行年度も分からないなど、書誌情報は皆無でした。
とりあえず何かひっかかってこないかとGoogleの画像検索にかけてみたところ、たちまち分かるのが2022年のすごいところとでもいいましょうか、古本屋なんてものもあっという間にいらなくなりそ …… なんてことはさておき。
当書の正式なタイトルは『Combinaisons Ornementales』 1901年にフランスで発行された図案のプレート集で『se multipliant à l'infini à l'aide du miroir』、意訳すると「鏡をあてると無限に反復・連鎖する装飾」なる副題がついています。
鏡付きの図案集は以前にも一度入荷したことがありますが、当品1ページ目の「De L'emploi du miroir(=鏡の使い方について)」をみた範囲で云えば、反復図案のより多彩な得方が企図されていたようです。
なるほどと感心したのも束の間、今回一番驚いたのは次のくだりでした。やはり副題として記載されている図案家の名前
Dessins de MM. P. Verneuil, G. Auriol et A. Mucha』です。
M.P.Verneuil=モーリス・ピヤール・ベルヌーイは『L'ornamentation par le pochoir 』など、以前にも何度かこの人の図案集を扱っていますが、何といってもまさかA.Mucha=ミュシャの装飾プレートが入っていようとは!
リトグラフで刷られた図案プレートにはそれぞれにサインが入っており、ミュシャのプレートは10点。植物などの曲線による洗練された抽象化が特徴です。
入荷したものにはオリジナルのポートフォリオとプレートの1枚目にあたる扉のページが欠けていますが、図版プレートはNo.3からNo.60までの全58枚揃い鏡の使い方に関する解説1枚(これだけ両面刷)を加えた59枚となっています。
こちらも田中千代の旧蔵品で、この他、ポール・ポワレやポショワールによるスタイル画で年代毎のモードをまとめた4冊本などなど、田中千代蒐集による戦前ファッション関係の洋書約20冊も入荷、今週中に棚に入れる予定です。

 

22/03/26 ボン書店の広告入り『新造型』/ 優秀デザイン多数の戦前スクラップ帖

■コロナウイルスの感染拡大対策について、東京都は今月22日から来月24日までの約1か月間を「リバウンド警戒期間」としています。
小店では、来週よりアポイント不要とし、リバウンド警戒期間中は12時から19時までの時短営業のみ続けさせていただきます。
お客様が4名様以上重なった場合など、ご入店までお待ちいただく場合もありますので、予めご承知おき下さい。
尚、入店時の手指の消毒と、店内での不織布マスクの着用については引き続きご協力をお願いいたします。
ちなみに小店店主、3度目のワクチン接種も無事に終えております。

久しぶりに戦前の美術関係資料が入荷しました。
「新造型美術協会機関誌」の『新造型』第2号で、昭和11(1936)年1月の発行。
新造型美術協会は、独立美術協会の「独立展」の一般出品者によって結成されたグループで、当品の発行される前年の昭和10(1935)年に第1回展を開催。以後昭和12(1937)年まで活動を続けます。
また、4号まで発行された機関誌『新造型』は「日本におけるシュルレアリスムの受容を研究する上で、きわめて重要なもの」だと云います。「というのは、メンバーのテキストや作品図版だけでなくて、瀧口修造と山中散生という、日本にシュルレアリスムを紹介するのに重要な役割を果たした詩人2人が、たびたび寄稿しているからです」(以上「」内は 大谷省吾「講演記録 瀧口修造と瀧口綾子」より引用または要約)
戦前のシュルレアリスム基本文献としてこれまでは比較的手にいれやすかった昭和5(1930)年の『アトリエ』「超現実主義研究号」と、昭和12(1937)年『みづゑ臨時増刊 海外超現実主義作品号』との間をつなぐようなタイミングでの発行です。
目次を兼ねた表紙をみると、引用文にある通り、瀧口修造が「超現実と現代文化」を寄せ、山中散生が「超現実の世界」を書いています
また、ナゴヤアバンガルドクラブを山中散生らと結成した下郷羊雄 -現実主義写真集『メセム属』で知られる- フランス文学者・小松清、そして、1935年に瀧口修造と結婚する鈴木綾子が寄稿。鈴木綾子の寄せた原稿「ミルクを飲む妖精たち」は作品「ミルクとフェアリイ」のコンセプトをエッセイ風につづったものと見られます。
図版はその鈴木綾子の「風景」、下郷羊雄「ブーメラング」、今井滋のフォトモンタージュなど同人の作品14図を所収
また、広告には新宿の「サロン行動」「武蔵野茶廊」(ともに写真入り)、神田駿河台下の「新造型洋服 フジエダ ヨーフクテン」「文房堂」、そして、雑司ヶ谷の「ボン書店」が名を連ねて壮観です。本文内に出てくる、外国人シュールレアリスム関係者の写真はボン書店の『L'ECHANGE SURREALISTE』のためにフランスから送られてきていた写真素材を流用しているものではないかと推察しています。

B5サイズで26ページとささやかな雑誌ではありますが、新しい時代の精神が横溢するモダンでアヴァンギャルドな雑誌です。

スクラップ帖が入荷しました。グラフィック・デザインに関係していたと思われる人の旧蔵品で、戦中の植民地・旅行関係の多い1冊と、女性像や海外のアール・デコ様式デザインの印刷物が多くおさめられている1冊という2冊で持ち主は同じ。
今回画像でご紹介するのは旅行関係の印刷物が多い1冊からアール・デコやロシア構成主義などの影響を受けたれたデザインのものだけを拾っても 輝く日本博、台湾博の栞、大阪梅田ホテル、大軌参急電車、南満洲鉄道大連案内、東京地下鉄や小田急・西武電車・湘南鉄道などの沿線案内、大和ホテル、満鉄直営奉天ヤマトホテル、帝国ホテルパンフレット、台湾鉄道ホテル、日本航空定期航空、日満航空連絡時間表、夏休みには満洲へ、京都ステーションホテル、日本郵船太陽丸、青島航路案内、大阪商船台湾航路、天津航路案内、上海航路案内、日本郵船上海案内、日本郵船香港案内、南洋航路、鹿児島沖縄案内 …… と枚挙に暇がありません。
中でも下記の貼り込みなど、かえすがえすも貼らずに挟んでおいていただきかった …… 「雨の夜道も安全 ライト洋傘」「日本一の理想郷 鎌倉山住宅地 特売案内」「「山口蚊象 建築作品 個展」「現代日本紹介欧文豪華写真雑誌 季刊NIPPON」「ブルーノ・タウト氏指導 小工芸品展覧会」!!!
エフェメラ専門店として、、旧蔵者の趣味嗜好からセンス、仕事や生活レベルまで最も雄弁に語ってくれる紙モノの集積としてのスクラップブックは-恣意的にまとめられてしまっている関係などもあり-研究対象としては使いにくいものが多いのですが、紙モノ好き・古いデザイン好きの満足を満たしてくれるアイテムとしては、最も合理的なのものではなのかも知れません。。

今週の斜め読みから。
ロシアからの反戦。日経さん、ここでは全文無料。
https://www.nikkei.com/telling/DGXZTS00001200W2A310C2000000/?fbclid=IwAR2fw6G0EC7xpLcGN8cXxjWCa8WV7NSbVe8vHhAdZZP3elt2TYWdOkbM5kU

無線マニア最強!? シンプルなツールのもつ力のことを考えたり。
https://mobile.twitter.com/attention_on/status/1506846071800352772?t=kAnqvFswsmRAaq2UQolj5w&s=04&fbclid=IwAR0VWp7un1gTO7SCZDuHVzkBSwFZxaK8zHTy_KgdTgDxaOlezxTHcorK8K0

ロシアも日本も政治を暴走老人から取り上げる方法を考えた方がよさそうです。
https://www.news-postseven.com/archives/20220321_1736984.html?DETAIL&fbclid=IwAR0ovPF5xV4wpfGo8z-LOoYSjPx_x_oFaQ-Ky7bBZTnfysjxl2r8QODYE7w

長文です。お時間ある方に。
https://www.facebook.com/chihiro.ito.1069/posts/5279613542078230
 

 

22/03/19 フルクサスとZちゃん !!!

■この原文を書き始めた3月18日の23時30分頃、岩手県で最大震度5強の地震があったことをテレビニュースが伝えていました。3月16日の地震以来、日本列島の北半分がまたしても落ち着かなくなってきました。被災された方には心よりお見舞い申し上げます。そしてみなさま、どうかなお一層のご用心を!

くるくると巻かれた幅10cm弱の紙をするする開けば長さは約180cmという矢鱈に長いこの印刷物。形態からピンとくる方もいらっしゃると思いますが、いかにもフルクサス(Fluxus)らしいこの印刷物、エメット・ウィリアムズ(Emmett Williams)による『AN OPERA』という作品です。発行は1963年。
エメット・ウィリアムズはフルクサスの主要メンバーのひとり。1960年代半ばから1970年代初頭まで、フルクサスのメンバーの作品を刊行したことで知られるSomething Else Pressの編集長を務めた人物です。
ポンピドーセンターのサイトによれば、ウィリアムズは1958年から1963年にかけてパフォーマンスの原案、タイポグラフィによる造形作品など、ロール状の印刷物を制作、『AN OPERA』もそのひとつであり“句読点詩の習作”とされています。作品は遠目には五線譜のように見える三点リーダーのところどころに単語を配していて(それで句読点詩?)、一見すると現代音楽の楽譜のような面白さがあります。
今回下調べの段階で、一番驚いたのがウィリアムズがチェコの劇作家で初代大統領だったヴァーツラフ・ハヴェルと親しい友人だったこと。
ハヴェルと云えばビロード革命の大立役者であり、いまもチェコの人たちの尊敬を一身に集める初代大統領。ごく一部をのぞきイデオロギーと直結するようなアーティストが少ないフルクサスのなかでは、異色と云えるのかも知れません。
いま再び東欧諸国がロシアの影響によって不安定になるなか、僅かに記されたこの両者の関係が気になってきました。
 

■2点目は井口真吾のZちゃんのキャラクターグッズ的アーティストブック『THE Z CHAN LONE IN THE SNOW』1986年、Z PLAN FACTORYが発行がした限定200部の内の67番。この辺りの情報は箱の上蓋内側のスタンプなどによって確認することができます。
箱をあけるとZ.P.F.の荷札付き綱紐、同じくZ.P.F.の腕章LOVE IN THE SNOWのオブジェ付き帆布ビニール袋に封入された印刷物、同じく封入されたカンバッチと植物標本「雪の中の恋」と題された印刷物白ダンに青一色で図版やメッセージを入れた印刷物Zちゃん漫画の雑誌抜き刷りなど、素材も形態も技法も異なるガジェットが現れます。
また、今回入荷分としては画像左上のトランプ、缶バッチ、小冊子『TURIP WATER』(1989年)2冊縦に長く伸びる『Z MAIL』もあります。
『THE Z CHAN LONE IN THE SNOW』の複製芸術の詰め合わせというアイディアと関係性があるとは思えない個別のアイテム、縦に長く続く印刷物、『TURIP WATER』についているメッセージが印刷された名刺状のカードなどなど、「あれあれ? これはフルクサスっぽいゾ」と思われるところがそこここに!
Zちゃん誕生は1984年、漫画雑誌誌上でのこと。フルクサスの活動開始から二十四年でフルクサスと呼ばれたアートはZちゃんというキャラクターに姿を変えて、日本の大衆文化に溶け込んでいきました。
ところが話しはそこで終わりません。
2010年、井口真吾は上海万博記念版画展に草間彌生や横尾忠則らとともに選出され出品それがZちゃんとZちゃんに登場するキャラクターを作品化したものでした。
アートから漫画へ、漫画からアートへ。Zちゃんのこの一連の作品が草間・横尾と並び評価される日は近い!!! (と思いたい……)

■今週の斜め読みから。今週は面白かった2本。

真面目そうで実はふざけているのかも知れないがしかしそうかも知れないと思うところなきにしもあらず
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E3%83%97%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%9C%AB%E8%B7%AF3%E3%81%A4%E3%81%AE%E3%83%91%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%B3-%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%81%8B%E5%86%85%E6%88%A6%E3%81%8B/ar-AAV6gPH?ocid=ob-fb-jajp-779&fbclid=IwAR14Ut2QiI5HG3OmEhwpiwg47fdTjiS2meQtCqrqBX29EbQ2F6LAB3S999k

そして世界を飛び歩く人-日本人が客観的にみた日本のいま。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00371/031000046/?fbclid=IwAR17DjR77jTHBkqXJScHmRDyByoOnz_Cv3rkyBEGFumzQwkrj8pCW2RDWFM
 

 

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