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21/08/08 ペリアンとふたつの謎の集団!?


■オリンピック開催期間中を通じて長らく休業しておりました店も、8月10日(火)に営業を再開いたします。
ですが、東京のコロナ感染者数は増大の一途をたどっており、直近まで50歳代にカウントされていた店主のワクチン接種は8月14日にやっと1回目という諸般の状況から、当面の間、完全予約制とさせていただきます。
10日以降、14日(土)を除く毎週火木土の12時〜19時の間で、ご来店のご予定について予めご連絡下さい。
ご連絡はFacebookで 「古書 日月堂」(古書と日月堂の間は半角あけ)宛てのDM、またはInstagramの「日月堂」よりこちらもDMで。直前でもご確認・ご返信が可能です。この他当日であれば店の固定電話 03-3400-0327 でも 数日前まででしたHPからのメールでもOK。
ご面倒をおかけいたしますが、ご協力のほど、何卒よろしくお願いいたします。
8月14日ワクチン接種のためは大事をとって休ませていただきます。どうか悪しからず、ご承知おきいただければ幸いです。何卒よろしくお願い申し上げます。

さて、新着品のお知らせ。1点目は久しぶりのペリアンです。ペリアンが日本で開催した展覧会の図録、といっても戦後の方ですが。
『巴里1955年 芸術の綜合への提案 ル・コルビュジエ レジェ ペリアン 3人展』の図録で別紙「出品目録」付き。新着品としてのご紹介は3度目か4度目になるかと思いますが、最近は市場にもあまり出てこなくなっています。また、これまで入荷した際にはすぐに買い手がついてきたため、店頭でご覧いただく機会がほとんどなく、現物を目にした方は少ないかも知れません。
建築家のル・コルビュジエ、画家のフェルナン・レジェについてはよく知られた名前だと思いますが、シャルロット・ペリアンはご存じない方も多いのかも知れません。この3名の中で最もマイナーであろうと思われるペリアンこそが、この図録の人気のカギとなっています。
ペリアンは1903年、パリ生まれの建築家・デザイナー。20代の若さで自らのアトリエを開き、家具のデザインで建築家ル・コルビュジエに認められると彼のアトリエに入所、コルビュジエの協働者としてデザインに従事します。1940年には商工省の招きに応じ輸出工芸指導の名目で来日、その成果を展覧会『選択・伝統・創造』で発表した後、太平洋戦争のため日本を離れたという日本との因縁も浅からぬ人物です。
1955年、ペリアンにとっては14年ぶり・日本での2度目の展覧会の開催となった「3人展」は、展示品の三分の二をペリアンの家具が占め、協働者のコルビュジエの絵画・タビストリー、ピカソなどと並び古くから親しい交流のあったフェルナン・レジェのタピストリーと陶製レリーフ、ステンドグラスなど二十余点とともに展示されました
2011年から2012年にかけて日本の三カ所の美術館で開催された「シャルロット・ペリアンと日本」展の公式カタログによれば、「3人展」では“金属やプラスチックといった大量に生産される材料や新技術だけに頼るのではなく、伝統的な手工業で使用されてきたような、生地を生かした天然の木材も取り入れながら考案した”家具を制作したとあり、日本各地の地方の職人を訪ね、その技術に触発されたという戦前日本での体験がベースにあることを思わせます。
日本で2回に及んだ展覧会はいずれも百貨店の高島屋で開催されました。世田谷美術館で開催され「暮らしと美術と髙島屋」展の図録には、明治から平成まで、高島屋美術部が手掛けた膨大な展覧会のなかから選抜された「美術部展覧会100選」と「文化催事三十選」がリスト化されていて、「選択・伝統・創造」は「美術展覧会百選」に、「3人展」は「文化催事三十選」に選ばれています。 

パリで「シャルロット・ペリアン大回顧展」(装飾美術館)が開催されたのは1985年。ロンドンデザインミュージアムで「シャルロット・ペリアン モダニストパイオニア展」が開催されたのはようやく1996年になってのこと。時代背景を考えると、“当時これほど女性が活躍することへの困難が大きかったことは想像に難くない。家具のいくつかもル・コルビュジエらとの共同名義で発表されながら、ペリアンの仕事だと後年に明かされたものもある。”(TOKYO ART BEAT;
https://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/2019/11/charlotte-perriand-inventing-a-new-world.html)
- ペリアンというひとりの女性の仕事を正面から評価し、ペリアンの名前のもとでその仕事を評価した一番最初の国が日本だった……?
ペリアンの展覧会に関する印刷物に格段の人気が集まるのには、この辺りの理由があるのかも知れません。

■わら半紙に孔版刷という、お世辞にも立派とは云い難いこの2点。何かヒントはないものかと、検索してもケンサクしても、背景について一歩踏み込んで説明することができないという、姿に似合わず手強い相手でした。こうした時こそ情報公開。というわけで早速簡単に内容を。
1965年頃の『フォーゲラーライン・コール』の入会勧誘チラシ。後に日本音楽協会事務局長やメーデー合唱団の指揮者を務める印牧真一郎と云う人が指揮棒を振る合唱団で、当時50名の会員が白金台幼稚園に集まって活動していた合唱団です。
特筆すべきは「私たちのレパートリー」。印牧氏との関係によるものか、林光作品の委嘱初演が1960年「混声合唱とコンボの爲のラプソディ」、62年「乞食の歌」(台本・安部公房、演出・観世栄夫!)、63年「ヴァカンス-あるいは時の中の死」、さらに1965年の演奏会では「委嘱新作 林光、おきはるを、間宮芳生、広瀬量平氏らを検討中)」としています。
他のレパートリーもバルトーク、コダーイ、ショスタコーヴィチと少々ひねりが。
なかなかにユニークな合唱団だったのではないかと思われるので、どこかに記録が残っているだろうと思っていたのが甘かった。どうスタートし、どんな人たちが参加し、どうした実績があったのか…林光に間宮芳生、そして安部公房までからんでくるあたり、気になりつつもここから先は一歩も進めず。残念。

こちらは学校や職場で使われた幻灯教材のひとつ、『スライド解説書 ふみにじられしもの ケーテ・コルヴィッツ画集』で幻灯画に付随するテキスト(解説文)。解説文は近年再評価が進んだという新海覚雄によるものです。製作はキヌタ・スライド。裏表紙の「キヌタ・スライドの幻灯フィルム」一覧によれば、キヌタプロダクション第一回作品の幻灯化「母なれば女なれば 増補決定版」が入っていることで、キヌタプロダクションの関連会社であるのは間違いなさそうなのですが、それ以外、一切不明。キヌタ・スライドには、一体どういう人たちが関わっていたのか、その後の記録映画、アニメーション、労働争議などとつながっていくことが予想されるだけに、分からないのが悔やまれます。無念。

■選手名ではなく国名をメダルの色とともに絶叫し続けた実況中継からようやく解放されます(ニュースでオンエアされるのはそんな場面ばかりでした)。アスリートとかメダリストとか呼ばれる人たちの自分とその関係者という狭い範囲しかみていないコメントからも解放されます。
政府と都は重症以外、入院させずとも良しと病院に通達、さすがに前言撤回したものの、本音も露わとなったところでオリンピックも終幕間近、職場接種の再開を云うものの、この間に拡大した学校・職場での感染は拡大の一途……きりがないので今週の斜め読みから。先生渾身の…

https://www.msn.com/ja-jp/entertainment/celebrity/%EF%BD%8E%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%81%AE%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E5%9B%BA%E3%81%BE%E3%82%89%E3%81%9B%E3%81%9F-%E6%80%92%E3%82%8A%E3%81%AE%E7%99%BA%E8%A8%80-%E5%80%89%E6%8C%81%E5%85%88%E7%94%9F-%E3%81%8C%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%89%EF%BC%91%E4%BD%8D/ar-AAMSV7J?ocid=ob-fb-jajp-781&fbclid=IwAR1rehUfcgotEs59AeLKxqbuTyu-oYxs4t6BPyVGXiZPzwZWjPP0SmpHlgk

云ったところで詮ないこと、せめて笑って〆たいとおっしゃるむきにはこちら↓をどうぞ。
https://mobile.twitter.com/poverty_liberty/status/1422475971182022664?s=04&fbclid=IwAR1oyxOwXbQYCBjYaOFgbJEhGI5XYizt9OJC8-Q0qPA04spLCVoEAXBlUYk

 

 

21/07/31 寺山修司と唐十郎をめぐる1975年の印刷物


オリンピック期間中につき、ただいま店はお休みをいただいております営業再開は8月10日(火)とし、8月末まではアポイント制でのご来店をお願 いすることになるかと存じますが、日が近づいてきたところで改めてご案内させ ていただきます。
また、休業期間中もSNS(Facebook、Instagram、Twitter)の投稿は続けておりますので、ご高覧いただければ幸いです。
引き続き、何卒よろしくお願い申し上げます。 

古書の取り引き市場は中高年の店主が多いというのに未だクラスターどころか 一人の感染者も出すことなく従前と変わらず運営されていて、小店店主も変わらず入札会に参加しています。従って、店は休んでいても毎週新着品の入荷だけは続いており、 例えば今週は、子どもの工作作品帖、大正時代~昭和初期・ベティさん他キャラ クター塗り絵のファイルがそれぞれ1冊、江戸小紋柄見本帖2冊、戦前ミニブロマ イド貼込帖2冊などがいまはただじっと出番を待っています。
そうした中から今日のところは戦後のカウンターカルチャー、アンダーグラウンド・アートシーンを象徴するような2点を。
1点目は、いまや戦後日本前衛芸術のなかでも王道に位置付けられた感のある寺山修司率いる劇団天井桟敷の海外公演用のパンフレット。演目は「疫病流行記」 で、1975年にアテネ、渋谷、アムステルダム、ブリュッセルで上演されたもの。
パンフレットは全篇英文で、本文8P。劇団沿革、歴代上演作品概要(スタッフ、 キャスト含む)、寺山修司年譜などで構成されています。
「疫病流行記」の英訳の下には、「作・演出 寺山修司」音楽 J.A.シーザー」の英文クレジットが。これは、「疫病流行記」が「言葉のない演劇」として構想された作品であり、音楽がとても重要な役割を果たしたことによるものです。
初期ピンク・フロイド的とも称されながら幻とされていたシーザーの音楽「疫病流行記」全25作は、初演から45年目の2020年、CDリリースされています。

■2点目は天井桟敷の寺山修司、黒テントの佐藤信、早稲田小劇場の鈴木忠志と並 ぶ「アングラ四天王」のひとり、天井桟敷に殴り込みをかけ、大乱闘を繰り広げ たことでも知られる唐十郎率いる状況劇場の写真集です。
タイトルは『かれらの未知の欲望 状況劇場1971/1973=野崎剛史』。裏表紙には 「野崎剛史写真拾遺」という記載も。発行は1975年で限定200部。当品はそのう ちのNo.3です。舞台写真には唐十郎と看板女優で先日逝去した李麗仙以下、麿赤児(大森南朋のお父さん)、根津甚八、不破万作などの姿も。
著者であり、舞台を追いかけ写真を撮った野崎剛史とはさてどういった写真家なのか…?
本そのものだけでは追い切れなかった可能性の残るその人については、当書に挟まれていた書簡1枚と、この200部の写真集のためにつくられたパンフレットから、多くのことを読み取ることができました。
いくつかのサイトで、「写真家」という肩書を与えられていますが、実際には発行当時、札幌でサラリーマン生活を送っていたアマチュアカメラマンであり、定 価¥2500の記載はあるものの、限定200部は主に知人友人へ進呈、販売は著者による直販売だったようです。
No.3と重きを置く相手に贈られたはずの当書については、自筆の書簡に書きのような記述があることから、状況劇場宛に贈られたものとみられます。
“本来ならば直接お渡しせねばならないころですが 一介のサラリーマンにとっては簡単に上京できかねますので、郵送致します。どうぞご受納下さい。 尚、6部同封いたしますので、劇団の皆様で分けて下さい。” 当書旧蔵者は状況劇場に関係していた人である可能性が高いことを示しています。
野崎氏はその後写真家に転身した可能性はないのか? という可能性にあたるために、例によってケンサクしてみました。行きついたのが「真駒内風良風良日記」というブログです。
ブログの筆者は野崎氏の高校時代からの親友らしく、2009年6月5日、野崎剛史告別式で弔辞を読んでいます。その一節 -「カメラマンに、なりたくて、なりたくて、アルバイトをしたが、お金が足りず、レンズまでは買えなかったけれど、ニコンのカメラのボディだけ買って、宝物のように、いつも大切に持ち歩いていたのも野崎だった」
4年後の2013年6月5日のブログは「野坐忌」というタイトル。「オレは来月、東京に行く。ジューローから電話があり“オレはノザキさんの葬儀に出られなかったけど、「盲導犬」を観劇後、ノザキさんを偲んで一晩呑み交わそう”という話があったわけさ」とあるこのジューローは、唐十郎なのでしょうか。
パンフレットに印刷された著者の写真は、岸辺シローを男前にしたような面立ちで、カメラマンになりたくて仕方なかったひとりの青年がはにかんだような笑顔を浮かべて、いまもこちらに眼差しを向けています。

* 野崎剛史氏については「真駒内真駒内風良風良日記」を参考とし、引用もさせていただきました。プログの主は本或いは古本の近くにいらした方のようで、もしかしたら亡くなられた「くすみ書店」の久住邦晴社長に所縁のあるかたではないかと拝察しています。
無断引用の段、誠に恐縮ながら、お赦しいただだければ忝く存じます。

 

21/07/20 オリンピック期間中臨時休業直前! 「ビュフォンの博物誌」入荷!

■いつもより3日遅れの新着品のご案内となりました。本題に入る前に、今月の営業のお知らせから。
かねてよりお知らせいたしております通り、オリンピック期間中は店を臨時休業とさせていただきます。このため、今月の営業は明日7月20日(火)12時~19時までのみとなります。
営業再開は8月10日(火)を予定しておりますが、感染拡大の状況等を見ての判断となりそうです。
休業期間中もHPの更新やSNSへの投稿などは継続いたしますので、お問合せ・ご連絡などはDMでいつでもお気軽に!
ご不便をおかけいたしますが、何卒よろしくお願い申し上げます。

今週の新着品は久しぶりのフランスの古書、そして小店には不釣り合いな古書の王道ものとなりました。「ビュフォンの博物誌」と呼ばれる大部数の百科事典のうち、四足獣についての記述が続く22巻から34巻までの13巻です。
正式なタイトルは『一般と個別の博物誌(Histoire Naturelle, Generale Et Particuliere)』。初版刊行は1749年で1巻目から大ヒット。著者であるビュフォン(Georges Louis Leclerc Buffon)が38巻まで著し没した後、植物学者ラセペードが書き継ぎ、44巻まで発行されました。
ビュフォンは長くパリ王立植物園園長を務めたフランスの博物学者ですが、「啓蒙思想家」との肩書を与えている百科事典の記述も多く、とくに「自然は動植物の種を含めて徐々に変化をとげると考えて、のちの進化論形成に影響を与えた」(ブリタニカ国際大百科事典)ことから進化論の先駆者とみなされているとありました。ビュフォンとその博物誌は多少知ってはいましたが、まさか進化論の先駆者だったとは。科学者のお話しには謙虚に耳を傾けたいものです(とくに某国政府のみなさまには)。
ラセペードの後も増補改訂は続けられ、なかでも博物学者ソンニーニ(Charles-Nicolas-Sigisbert Sonnini de Manoncourt)は1799年から1808年まで約10年を費やし増補改訂。127巻からなるソンニーニ版が出版されました。
今回、小店に入荷した版がこのソンニーニ版ですが、刊行年度部分にある記載は「A.N.VIII」。さて、A.N.とは何年なのか? 何を指すのか? 調べてみるも全く分からず。それでも「A.N.VIII」でそのまま検索して出てきた数字(1799)、ソンニーニ版の刊行期間にあたる1798-1808年、フランスの古本屋が手書きで書き付けた「1802」という数字など考え合わせて、1799年から1802年前後に刊行された版と見て間違いなさそうです。
挿画は初版当時より四足獣を担当したジャック・ド・セーヴ(Jacques de Seve)の手になるものを引き続き転載しているものと見られますが彩色はなし。 

wikiに紹介されている38巻本の内容と突き合せてみると、今回入荷した13巻がカバーしている範囲は38巻本の第4巻から15巻まで、12巻分と重なっています。
テトキストには各巻それぞれ後に追加されたと見られるページが随所にあり、全体としてはまるまる1冊分の増補改定分が追加されていると見てよさそうです。
ご覧の通り、本文に使われているのは全て手漉き紙でほとんどが耳付き。軽装判の表紙の紙も良い味を出していますが、本文用紙のサイズが全て違うことで生まれる小口側から見た時の紙の束としての存在感も見逃せません。

■内容について見ていくと、22巻は馬とロバ、23巻は牛、羊、ヤギ、ブタ、犬、24巻は猫、鹿、ウサギと、人に使役する動物、或いは人の食卓に上る動物(!)から始まる編集構成自体、実に面白いものです。また、例えばネズミでも野ネズミやハタネズミは25巻に登場するのにドブネズミは26巻に一拍遅れて出てきたり、蝙蝠があちこちの巻で観られるなど、身近に存在していた生物がいまとは全く異なっているといった変化もみてとることができそうです。
キリンとその骨格、へその緒がついたままのカバの赤ちゃん、木の実を食べるリスの姿など、あくまで博物学的観察図がある一方で、背景にはその動物の生息域にありそうにない風景・建物などが描かれているなど、よく見ると突っ込みどころも多数。そして謎の生物も居て、なるほどこれは面白い! というのが個人的な大発見でした。
ビュフォンによるテキストは論文調というより文学的との指摘もあり、フランス語が読めればどれだけ楽しめたことか!
図版は犬が最も多く、また巻によってバラツキはあるものの、1冊におよそ15~20図、13冊で200点を超える挿画が収められています。
それにしても何故ビュフォンを買ったのか?と云うと、ここ数週間、欲しいものが何もなかったこと、この札で落札できるはずがないと思って入札したら落札できてしまったということ、つまりは実に消極的な理由による入荷となりましたが、教えられることは多く、つくづく買ってみるべきものだと思いました。「買ってみなけりゃ分からない。」昔から同業諸先輩に聞かされ続けた箴言です。
実は古本屋にはもうひとつ深く刻まれている言葉があって、「そこから先は我慢比べ。」というのなんですが、さて、この13巻全部欲しいという人が現れるのは果たしていつの日のことになるものやら。炎天下にも関わらず我慢比べの開始であります。とほほ。

■今週の斜め読みから。
景観破壊問題に始まり盗作、セクシャルハラスメント、ルッキズム、忖度挙句に虐待まで、そうそう揃うことのない愚行で塗り固めた世紀の祭典があと少しで始まります。
ワクチンは遠くマスクは暑い。みなさまどうかくれぐれもご用心下さい!

https://mobile.twitter.com/hirokim21/status/1416359306857910286?s=04&fbclid=IwAR3_byOYCE0m0n0olx_ADQSRlstZyJdLLbccPOQP9Nrn69oBoaoly1jXA8g

https://news.yahoo.co.jp/articles/0ebf62db6b93220b6eb769f5fd8b850bec22a651 

 

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