■明けましておめでとうございます。 年頭にあたり 平素のご厚情に改めて感謝申し上げ また 本年も旧倍のご厚誼・ご鞭撻を賜りますよう 心よりお願いいたします。2008年が みなさまにとって 幸多き年となりますよう 祈念申し上げます。 新年初売りは1月8日(火)、その後、木曜・土曜と各日とも12時~20時で営業いたします。 ■さてさて今年最初の新着情報。楽しく始めたいと思います。上の画像、真ん中は、エッフェル塔で撮影された「顔出し看板」を絵葉書に仕立てた未使用の一枚。日本人の比較的いい歳をしたオジさまが笑ったものかどうかしようかという、かなり微妙な表情で顔を出しています。よく見ると看板は結構おおざっぱな手描きとなっております。渡航先の観光地等で撮影した写真を絵葉書に仕立てたる例はある程度散見される(pm46参照)のですが、「顔出し看板」で撮影したものはこれが初見。いつ頃のものなのかははっきりしませんが、おそらくは大正年間、新しくても昭和のごく初期までにつくられたものでしょう。私が物心つくころ(昭和30年代後半)には、日本の観光スポットにはお約束のごとく存在したこの「顔出し看板」ですが、戦後の風俗でも、日本独自の発想でもなかったわけです。こうなると、その生みの親、発祥地、伝播ルートなどなど興味も広がってくるのですが、こうした大衆文化的な事象に限ってまともな記録がないのがこの世の常。こうして残された「点」をつなげていくしかないのかも知れません。ところで、ここに顔を出しているオジさま。一緒に出てきた絵葉書も全て未使用とあって、どういった人物なのか全く分かりません。おそらくは、国か組織か親族か、名誉や期待のもろもろ背負って渡航した日本男児にして、エッフェル塔に登るとついやってしまった「顔出し看板」…その微妙な表情を眺めていると、この無名氏、何だかとてもいい人に見えてくるのでした。
■今週も新着品をもう一点(画像二点目)。かつては何度か扱ったものの、最近では市場で見かけることもない『バットの手工』(本多功著 昭和7年)、その姉妹編ともいうべき本を昨年末の市場で発見しました。題して『オモシロクデキル バット人形』。こちらは「みさき いづも」なる人の著作で昭和8年4月の再版。バットといっても野球で使うそれではなく、「ゴールデン・バット」という煙草のこと。その空いたパッケージを使って遊び倒そうというのが二冊に共通する趣旨。かつての日本の家庭にはそれだけありふれた紙モノとして、ゴールデン・バットの空き箱が転がっていたということですね。『手工』が貼絵などの平面に留まらず立体作品まで展開しているのに比べると、『人形』はあくまで「切り貼りでつくる平面」でしかも「人形」のヴァリエーションであるという点で少々単調ではありますが、しかし紙幅150Pを数える本一冊、このテーマで埋め尽くした無理矢理感、といいますか、七転八倒ぶりが伝わってきて余りあり。画像右端の二面は「テンテンテンマリ テンテマリ」というご存知の歌の振付けに合わせた人形のポーズなのですが、この一曲で何と47ポーズを考案。後半になると何故か「ガイセンモン」まで登場します(…人形?)。日本髪に蝙蝠の図を使った「お見事!」な作例も勿論あるのではあるのですが。しかしこの無用な情熱は一体?―という辺りは奥付にヒントがあるようで、『バット人形』の初版は昭和7年も押し詰まった12月の発行。つまり、同年発行の『バットの手工』の人気にあやかり二匹目のドジョウを狙ったものではなかろうかと。このモノ売りへの情熱!(ホントかなぁ)今年こそ私も見習わないといけません(ダイジョーブかなぁ)。 ■説明が遅れましたが一点目の画像、新着品絵葉書の左右は、自宅のヴェランダから撮った東京タワーです。青くライトアップされているのが2008年1月1日0:00の撮影。しばらくすると画像右側の、いつものオレンジの光に戻りました。ここ数年、年のはざまをヴェランダで過ごします。仕事につながるものがひとつも視界に入らない、唯一の場所です。街中は静まり返り、近くにある不動尊の鐘の音が、年によっては海側から汽笛も、聞こえてきます。この日だけは寒ささえ、我が身を浄化していくかのように感じられます。新しい年はすでにスタートしました。来週からはまた市場です。できることなら。闇の中に垣間見るかすかな光のような、過去の断片を見つけ出す仕事を、少しずつでも重ねていければと思います。今年もまた、相変わらずのゆるゆるとした歩みとなります。今年もまた、店にネットに、お訪ねくださいますよう、何卒よろしくお願いいたします。
■いよいよ年の瀬も押し詰まり、2007年は本日・29日(土)12時~20時の営業を残すのみとなりました。12月30日(日)~1月7日(月)の期間、店もネットによる受注も年末年始のお休みを頂戴いたします。2008年の初売りは1月8日(火)とさせていただきます。休み、長すぎ?と思われるむきもあろうかと存じますが、そこはそれ、本と仕事は売るほど抱えて越年するので。年明けにもデータのアップだけはこっそりぼちぼち続ける予定。「ゲブラウス・グラフィック」、「三越」、「絵葉書」…やれやれ。いえ。はい。分かっております働きます。年末年始のご挨拶はまた後ほど、先ずは2007年、これで最後の新着情報です。 ■画像は上下とも戦前オランダの雑誌『WENDINGEN(=ウェンディンゲン)』。“転換期”という誌名をもつこの雑誌は、建築家ヘンドリック・ウェイデフェルトが1918年に創刊した月刊のワンテーマ・マガジンで、1932年まで発行されたといいます。同誌創刊の1918年、ウェイデフェルトは、前年に活動を開始し同名の機関紙を発行し始めていた「デ・ステイル」に対抗し、「アムステルダム派」と呼ばれるグループでの活動を開始しており、『WENDINGEN』はその理念と活動の骨格をかたちづくる雑誌だったようです。「アムステルダム派」を一言でいえば、表現主義の建築家を中心に、伝統的な装飾を完全に捨て去るのではなく、伝統と新しい表現とを調和させる方向でそれを進化させることを目指した芸術家のグループ、ということになるでしょうか。実際、フランク・ロイド・ライトやメンデルゾーン、アイリーン・グレイなどがこのグループに賛同し、誌面にも関わったようです。こう説明するとアヴァンギャルドとは遠い位置にあるものと思われるかも知れませんが、1920年代にリシツキーが表紙を担当した同誌を所蔵するメトロポリタン美術館のサイトでは、「アヴァンギャルド・ジャーナル」として位置づけられるとともに、とくに毎号アヴァンギャルド・アーティストを起用した表紙は大きなインパクトを与えた、という評価がみえます。「WENDINGEN」をキーワードにあちこち検索してみると、ウェンディンゲン体というフォントが出てきたり、ウェイデフェルトが1925年のパリ万博=アール・デコ博でオランダ・セクションの設計責任者に起用されたといった記述がぽつりぽつりと出てきます。常々、検索よりも紙上の資料を参照すべきだと考えているのですが、この雑誌とアムステルダム派等については、美術、デザイン、建築等いくらひっくり返しても、少なくとも手近の資料からは一切記述を見つけることができませんでした。欧米での評価・認知度と、日本のそれとの間にいまだ大きな開きがあるという、いまどき珍しい例のひとつかも知れません。この雑誌を初めて目にしたのは一年半ほど前の市場でのこと、落札価格の高さには驚きました。日本ではほとんどとり上げられることのない洋雑誌に対しても、知識か勘か経験かいずれにせよ、よいものはよいものとして評価できる同業者の目には畏敬の念を覚えたものです。今回は1927年から1931年にかけて発行された11冊が一挙入荷。上の画像は左より、舞台芸術、建築、ポスターをとりあげた特集号の表紙。下の画像の通り、中を開けば全頁石版刷りの罫で囲んだ片面刷り、一冊ごとにひもを使って綴じられたたいへん贅沢な雑誌です。11冊の大量入荷はこれから先再びあるとも思えず、今年最大の成果をもちまして。これにて。めでたく。2007年新着情報の打ち止めでございます。
■2007年もみなさまから賜りましたご厚情により、お陰さまで古書店としての命脈を保つことができました。心より感謝申し上げる次第です。本当に有難うございました。ウェンディンゲンではありませんが、ネット界、書店界、古書界とも、数年先さえ読めない大転換期にあって、小店の行き先は未だ五里夢中の薄暗闇のなかにあります。ここ数年の間に、この国の諸制度はもはや中小の個人商店など存在無用といわんばかり、そして「ものを売る」上では実店舗を持つことがむしろナンセンスと見られるようになってしまいました。しかし、そうした時代だからこそ、店でできること、店でしかできないことを、やはり考え続けたいと思います。あくまで店を自らの確固たる足場とすべく、来年からしばらくは、“ひきこもろう”と考えております。2008年はますますみなさまのご教示を頼りにいたしております。旧倍のご鞭撻を、何卒よろしくお願い申し上げます。来るべき年がみなさまにとってよりよい年でありますよう祈念申し上げつつ、さらばこれにて、打ち止め、うちーどめぇー!!
■先ずは年内営業日のご案内。12/22(土)、25(火)、27(木)、29(土)の各日12時~20時で営業いたします。もうすぐクリスマス。クリスマスを過ぎれば年末。古本どころでもなかろうとは存じますが、新着品もあります手前、伊達と酔狂を旨とされる皆様には、年内最後のご来店をお願い申し上げます。 ■小店、年内の市場はこれで打ち上げと決めていた21日の「明治古典会クリスマス大市」。落札品したての品物より、新着品はクリスマスのイメージに相応しくウィリアム・モリス(William Morris)のケルムスコット・プレス(Kelmscott Press)刊行書二冊です。上の画像はF.S.エリス(F.S.Ellis)編、1897年350部発行『サー・イザンブラス(THE ROMANCE OF SIR ISAMBRAS)』。同プレス刊本の48点目で、書体にはチョーサー活字がとられています。下は同プレスの発行53点目であり、最後の刊行書となった『ケルムスコット・プレス設立趣意書』。限定525部が1898年に刊行されています。英文のタイトル『A NOTE BY WILLIAM MORRIS ON HIS AIMS IN FOUNDING THE KELMSCOTT PRESS/TOGETHER WITH A SHORT DESCRIPTION OF THE PRESS BY S.C.COCKERELL & AN ANNOTATED LIST OF THE BOOKS PRINTED THEREAT.』-長い!-が示す通り、ケルムスコット・プレス設立にあたってのモリスの思考・思想とともに、刊行全書誌や同プレスから生まれた書体、オーナメントの作例なども盛り込んだ総まとめともいえる一冊です。『イザンブラス』と比べるとオーソドックスともとれる書体はゴールデン書体、扉の挿絵はバーン=ジョーンズ(EDWARD BURNE=JONES)が手掛けたものです。正誤表の綴じ込み有り。二冊いずれも表紙に小さなシミが認められる以外、本文にも退色やシミなど目立ったところのないかなり良好な状態が保たれています。
ケルムスコット・プレスの刊行書は一見、20世紀モダンへと向かっていく時代に逆行するかのように見えますが、モリスのデザインと生活とを結び付ける思想、デザインは可変的なものなのだという思考は、その後十数年を要してヨーロッパ大陸の側で一斉に芽吹いていくモダニズムの先駆けに位置しています。おもてに表れているものというのは、常にその背景にある思考や思想のごく一部を映したものに過ぎずないはず。だからこそ、やはりテキストというものが尊重されねばならないと思うのは、私もまだ辛うじて本屋の端くれだからでしょうか。とはいえ、今年、とうとう「中近両用」という名の老眼鏡-やれやれ-を誂えた私は、それを読み取る眼と頭を鍛えるにはいささか歳をとりすぎたかと思う年の暮れではあります。いやその前にクリスマス。皆様には、多少なりとも眼福をお届けできたのなら幸いです。 ■「人馬一体」とはよくいったもので、市場では「飛ばしたがる馬=私」と、その手綱を握って後ろに引く「騎手=私」とがひとつの頭のなかでぐるぐるうねうねとせめぎ合うことになります。手綱を後ろに引く主な動機は「ほらほら生活、破綻するでしょ」という主に財政的諸事情。今年最後の明治古典会ではマルティの挿画本数冊の交じる洋書の口を9,000円差で負け、川島理一郎描くところのパリの撞球場の水彩画は2,000円の差で負け、ツェッペリン号の写真帖や雑誌『CANTON』に至ってはかすりもせず、そのあたりになると走る気も失せ、と同時に改札も終盤となってしまい、「人」が先に立てば「馬」が全く走れぬのは毎度のことながら、ケルムスコットの二冊が同時に改札される位置にあるのを見て腹をくくり、ぱぁーんと手綱を放してしまったのが…いま思えばいけなかった。年内最後の市場、悔いを残してどう年を越す、というのはもはや馬の思考でありまして、結果『イザンブラス』が四枚札の天辺、『設立趣意書』が同じく四枚札の上から二番目の値での落札。実は他にも落札品はございまして、従って当方懐もぱぁーんと弾けてすっからかん、火曜日の洋書会特選市でもそこそこ買っておりますので、年内は来週末にもう一度、2007年最後の新着品情報更新を予定いたしております。店には戦後のマッチ箱(経木の時代の完品)、ゴールデン・バットのパッケージをとことん使って人形をつくりまくった珍本『オモシロクデキル バツト人形』 (いやこれは後日画像でお見せしたい!)、ストラビンスキーやオペラ関係の、もうひとつバレエ関係の、それぞれ洋書が一口ずつ、「浦塩 通訳何某」とあるロシアの絵葉書などなど-年内最後の悪あがき-新着品で店の棚にも手を入れております。これも市場のあるおかげ。しかも市場は明朗会計。来週中(!)には納める規則……鬼です。正月より節分に早くやって来てもらいたいものです。あっ。来週の更新もご高覧のほど!