■いよいよ年の瀬も押し詰まり、2007年は本日・29日(土)12時~20時の営業を残すのみとなりました。12月30日(日)~1月7日(月)の期間、店もネットによる受注も年末年始のお休みを頂戴いたします。2008年の初売りは1月8日(火)とさせていただきます。休み、長すぎ?と思われるむきもあろうかと存じますが、そこはそれ、本と仕事は売るほど抱えて越年するので。年明けにもデータのアップだけはこっそりぼちぼち続ける予定。「ゲブラウス・グラフィック」、「三越」、「絵葉書」…やれやれ。いえ。はい。分かっております働きます。年末年始のご挨拶はまた後ほど、先ずは2007年、これで最後の新着情報です。 ■画像は上下とも戦前オランダの雑誌『WENDINGEN(=ウェンディンゲン)』。“転換期”という誌名をもつこの雑誌は、建築家ヘンドリック・ウェイデフェルトが1918年に創刊した月刊のワンテーマ・マガジンで、1932年まで発行されたといいます。同誌創刊の1918年、ウェイデフェルトは、前年に活動を開始し同名の機関紙を発行し始めていた「デ・ステイル」に対抗し、「アムステルダム派」と呼ばれるグループでの活動を開始しており、『WENDINGEN』はその理念と活動の骨格をかたちづくる雑誌だったようです。「アムステルダム派」を一言でいえば、表現主義の建築家を中心に、伝統的な装飾を完全に捨て去るのではなく、伝統と新しい表現とを調和させる方向でそれを進化させることを目指した芸術家のグループ、ということになるでしょうか。実際、フランク・ロイド・ライトやメンデルゾーン、アイリーン・グレイなどがこのグループに賛同し、誌面にも関わったようです。こう説明するとアヴァンギャルドとは遠い位置にあるものと思われるかも知れませんが、1920年代にリシツキーが表紙を担当した同誌を所蔵するメトロポリタン美術館のサイトでは、「アヴァンギャルド・ジャーナル」として位置づけられるとともに、とくに毎号アヴァンギャルド・アーティストを起用した表紙は大きなインパクトを与えた、という評価がみえます。「WENDINGEN」をキーワードにあちこち検索してみると、ウェンディンゲン体というフォントが出てきたり、ウェイデフェルトが1925年のパリ万博=アール・デコ博でオランダ・セクションの設計責任者に起用されたといった記述がぽつりぽつりと出てきます。常々、検索よりも紙上の資料を参照すべきだと考えているのですが、この雑誌とアムステルダム派等については、美術、デザイン、建築等いくらひっくり返しても、少なくとも手近の資料からは一切記述を見つけることができませんでした。欧米での評価・認知度と、日本のそれとの間にいまだ大きな開きがあるという、いまどき珍しい例のひとつかも知れません。この雑誌を初めて目にしたのは一年半ほど前の市場でのこと、落札価格の高さには驚きました。日本ではほとんどとり上げられることのない洋雑誌に対しても、知識か勘か経験かいずれにせよ、よいものはよいものとして評価できる同業者の目には畏敬の念を覚えたものです。今回は1927年から1931年にかけて発行された11冊が一挙入荷。上の画像は左より、舞台芸術、建築、ポスターをとりあげた特集号の表紙。下の画像の通り、中を開けば全頁石版刷りの罫で囲んだ片面刷り、一冊ごとにひもを使って綴じられたたいへん贅沢な雑誌です。11冊の大量入荷はこれから先再びあるとも思えず、今年最大の成果をもちまして。これにて。めでたく。2007年新着情報の打ち止めでございます。
■2007年もみなさまから賜りましたご厚情により、お陰さまで古書店としての命脈を保つことができました。心より感謝申し上げる次第です。本当に有難うございました。ウェンディンゲンではありませんが、ネット界、書店界、古書界とも、数年先さえ読めない大転換期にあって、小店の行き先は未だ五里夢中の薄暗闇のなかにあります。ここ数年の間に、この国の諸制度はもはや中小の個人商店など存在無用といわんばかり、そして「ものを売る」上では実店舗を持つことがむしろナンセンスと見られるようになってしまいました。しかし、そうした時代だからこそ、店でできること、店でしかできないことを、やはり考え続けたいと思います。あくまで店を自らの確固たる足場とすべく、来年からしばらくは、“ひきこもろう”と考えております。2008年はますますみなさまのご教示を頼りにいたしております。旧倍のご鞭撻を、何卒よろしくお願い申し上げます。来るべき年がみなさまにとってよりよい年でありますよう祈念申し上げつつ、さらばこれにて、打ち止め、うちーどめぇー!!