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17/07/01 一週遅れて新着品は同潤会・満洲国留日学生会館・紐育万博関係! 来週は七夕古書大入札会で土曜日休みです!

■7月1日。2017年も後半戦に入りました。早い。あまりに早い。今年もまた、「七夕古書大入札会」が今週金曜日7月7日(金)から始まります
入札スタート価格が、最も安いもので10万円からと云うハードルの高い入札会ですが、一般下見展観日が設けられていて、いつもは業者しか入れない古書の入札会場に一般の方も入れ、実際に手にとってご覧いただくことができるとあって、国内のみならず海外からも多くの方が足を運ぶ入札会。出品商品全点掲載の目録、下見展観の日時や会場等、詳細については下記のサイトでご覧いただけます。
ご興味のある方は先ずはウェブサイトご高覧の上、会場にも是非、お運び下さい。
http://meijikotenkai.com/2017/

これに伴い、7月7日(金)より10日(月)まで、店の営業並びに在庫商品の通信販売をお休みさせていただきます。また、「七夕」に関係する以外のご連絡については、お返事が11日以降になる可能性がございます。
この間にご連絡が必要な場合、ご存知の方は日月堂・佐藤の携帯電話へ、または「七夕」会場の東京古書会館03-3293-0161までお電話の上、日月堂をお呼び出し下さい
7月11日より通常営業に戻ります。
例によってご不便をおかけいたしますが、何卒よろしくお願いいたします。

 ■そうこうしている間にもそこそこ新着品は入荷しておりまして、今週はその中から3点を選びました。
1点目は、「同潤会アパート」で名高いご存知同潤会関係の印刷物。『同潤会事業概況』はB5・8Pだて、昭和9(1934)年現在の普通住宅・分譲住宅・ アパートメントハウスの一覧表とそれぞれの説明と14点の建物写真、その他の事業や住宅分布地図、役員一覧からなるパンフレットで、写真は外観を中心に室 内のカットを含みます。
江戸川アパートメントについては同じく昭和9年、こちらは竣工当時のリーフレット2種。淡いイエローにブルーで刷られた方には、室内の写真3カットや屋上からの眺望、間取りと家賃、フロア見取り図が。ゴム印で、「7月29日アパートメントを展覧に供します~」という案内2行があり、深読みかも知れませんが、竣工前後、ぎりぎりまで読めないスケジュールにやきもきしていた関係者一同の心中察するものがあります。白地にブルーで印刷された縦長のリーフレットは全フロアの平面図、敷地・規模、戸数、工費、付帯施設といった主にハード面の案内。
画像中、『荻窪分譲住宅 受付開始』と見える大判・1枚ものは、昭和4年に売り出された豊多摩郡杉並町大字天沼654番地に“中産者の住宅問題解決の一助として”建設された住宅の分譲案内ですが、反対側(裏面)には住宅造成地全体の配置図、配置された各住宅のタイプとそれぞれの間取りが詳しく描かれています。18年間毎月の分割払いで、タイプ別の支払い額概算表も。
同潤会と云えば、一般的に、都市生活者のためのモダンなアパートの印象が強いかと思いますが、江戸川アパートメント以降は木造平屋建て中心の分譲住宅の供給に専念しており、荻窪分譲住宅は、その初期の事例のひとつです。
同潤会の分譲住宅事業については、インターネット上にも研究が公開されており、あまりに詳細なのに小店店主はたじろいでおりますが、ご興味ある方は是非ご一読を →
→ http://www.jusoken.or.jp/pdf_paper/2003/0210-0.pdf
何しろ同潤会ですから。そこにはサラリーマン家庭の理想カタチがあったはずで。
何しろ同潤会ものですから。紙もの資料は非常に稀で。市場での人気は高く。売るには苦労がつきまといそうな ……。

 ■こちらも建築関係ですが、植民地政策・対中関係の意味が加味されてしまう「満洲国留日学生会館」関係冊子類。『財団法人満洲国留日学生会館設立計画書』『財団法人満洲国留日学生会館処務規定』の2冊が昭和11(1936)年付け。『財団法人満洲国留日学生会館新築工事概要』が昭和13(1938)年付けで各種坪数、建造物の仕様、収容人数、付随施設、設計・施工者等、施設と工事に関する詳細と、全景、中庭、講堂と竣工当時の写真3点、地下1階・地上4階および屋上の全フロア平面図を収めています。表紙に押されている印は昭和13年付・日本建築士会のもので、鉛筆書きで「原稿用済ニテ御返却申上ゲマス。」とあり、同じく鉛筆で平面図の修正や削除を意味すると思われるバツ印、加筆訂正等が見られます。屋上平面図に書き込まれたバツ印を除けば、書き込みの方が竣工後のより正しい情報となっている可能性を伺わせます。
「満洲国留日学生会館」は、昭和10年(1935)満洲国皇帝溥儀の来日記念事業としてスタートしたもので、「建国ノ精神ヲ堅持シ日満一体ノ観念ヲ把握セ シメ以テ日本留学ノ目的ヲ達成セシムル為ノノ研学修養ノ道場タラシメム」ことを目指していました。要は、満洲=中国からの留学生を日常生活の場からして“教化”しようと目論んだもので、道場と呼んだそのまんま、「大弓道場」が主要施設のひとつとして設けられる分かりやすさ。この辺り、いまもそう変わらない気もします。
ちなみに、同会館が置かれたのは、元陸軍造兵廠東京工廠敷地内で、現在、日中友好会館がある場所なのだそうです。
画像中、他の印刷物は会館に設けられた中華料理店のメニュー2種3点。「支那ソバ」1杯12銭也。果たしてちゃんと故郷を思わせてくれる味だったのかどうかが、気にかかります。

■もう1点。真珠湾攻撃によって始まる太平洋戦争直前の昭和15(1940)年10月、前年にニューヨークで開催された万国博覧会の記念写真集として出版された『明日の世界文化』。画像は当書中の日本館に関する部分からピックアップしました。一見モダンスタイルのようにも見えますが、洗練されているとは云いがたいベタな装飾部分などを見るに、僅か3年前の1937年、パリ万博で優秀建築に選ばれた坂倉準三による日本館の超現代的(!?)スタイルからすると大きく後退していると云わざるを得ない日本館の姿です。
巻頭には、山脇巌の長文を含むテキスト多数。アメリカの物質文化について、科学・技術について、企業のもつ力についてなどなど。ここまで詳細に把握し理解し肌身で感じとっていた人たちが少なからずいたにも関わらず、日本は何故、太平洋戦争に突っ走ることになったのか、残念なことに、2017年現在、少しずつ私にも分かるようになってきました。
ところで、掲載されている写真の一部は、かつてその紙焼きオリジナルのワンセットを小店で扱ったことのある小林湜信氏撮影作品から選ばれたもの。6年も前のことになり ますが、その頃は私にはいまより数倍の熱意とエネルギーがあったようで、詳細についてはそちら(下のアドレス)を誤認いただくのがずっとよろしいようで…。

11/06/18 土 この世に1点。かもしれない 。 - 「1939 紐育万博記録写真集」/ アール・デコ期・照明器具デザイン画

http://www.nichigetu-do.com/navi/info/detail.php?id=567

 

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