■9月2日以来、ということは、ほぼひと月ぶりの更新となってしまいました。とうとう潰れたか? もしや旅だっちゃいましたか?、など、いらぬご心配をおかけしたことを心よりお詫び申し上げます。大変申し訳ございませんでした。
さて、いったい何がどうしてこうなったかという、一言で云えばコロナです。9月9日は市場二か所はしごして更新をさぼり、その翌週、とううとうコロナに感染し、大事をとって2週間ほど休んだため、ほぼひと月の空白期間が生じたという次第。その経緯については、自分自身の備忘録を兼ねて本日更新の末尾に書き留めておくことにして、先ずは新着品のご紹介から。
あ。あと来週の予定も。来週は大市の関係で、店は木曜・土曜日の2日間だけとなります。また、可能な限り予めご来店のご予定をお知らせ下さい。何卒よろしくお願い申し上げます。
■さて、ようやく新着品のご案内。
1点目は小店に出戻ってきた「夏目漱石著書・装丁挿画コレクション」です。
そもそも切貼りによってつくられた手製のスクラップなので、タイトルは内容を示す仮のタイトル。つまりは、明治の文壇デビュー以降、大正中期までに刊行された夏目漱石の著書(書籍)から、カヴァー、本体表側の装丁部分、デザインの施された見返しと扉、挿絵、そして序文、奥付といった書誌情報の部分だけを抜き出し、台紙に糊付けしたもの。B4サイズの台紙にして76枚を数えます。
著書のほとんどが四六判よりひとまわり大きい菊版で、装丁部分だけをとった図版ですが、たっぷりとした印象を与えます。また、装丁挿絵や扉などはほとんどが多色木版刷で、1点毎に作品といってもおかしくないクオリティです。
内容をみていくと - 橋口五葉、中村不折、浅井忠が関わった『吾輩ハ猫デアル』17枚、橋口と中村による『漾虚集』14枚、橋口の『鶉籠』『草合』各6枚、同じく橋口の『彼岸過迄』・津田清楓『明暗』各5枚、橋口の『三四郎』『行人』『虞美人草』各4枚、こちらも橋口の『門』『それから』『四篇』各3枚、漱石自装の『硝子戸の中』2枚。このうち、『門』と『明暗』は初版本から切り出したものとみられます。
いま「日本の古本屋」で調べてみると、『門』の初版・完本が20万以上、同じく初版・完本で比較的数が残っているとされる『明暗』でも10万前後。まさかいま、10万を超えるような本にカッターを入れようという人はほぼ皆無ではないかと思います。台紙に貼り付けた旧蔵者による題箋の手書き文字などからみても、重版や端本が古本としてまだ安く購入できた時代に成立したものと思われます。
実はこのコレクション、小店に再入荷したもので、最初に入荷したのは2016年といまから6年前。2017年1月の「銀座 古書の市」の目録に掲載し、某美大資料図書館含め、複数の注文をいただきました。
たまたま目をかけて下さっている大先輩の同業者のところに預けられたとうかがったのがコロナ罹患前の金曜日。療養集の出品をどうにか遅らせて下さいとお願いして聞き届けていただき、市場に復帰したその日に出品されたのを無事、落札して持ち帰ってきたものです。
そこまでして再び手にしたこのコレクション、さて、柳の下には二匹目の泥鰌が居るのでしょうか!?
■新着品の2点目は、期せずして夏目漱石が小説家としてのスタートを切ったのと同じ年である1905(明治38)年、そして翌1906年にミュンヘンで発行された週刊誌『ユーゲント』の表紙と挿画のコレクション。ドイツにおけるアール・ヌーヴォー=ユーゲント・シュティールを牽引したのが他ならぬこの『ユーゲント』でした。
今週の新着品2点は、同時代、コレクションとして同内容、そして、東西で相互に影響を与えた素材が並びました。別口で落札した新着品で、取り上げるものがここまで一致はするのは珍しい。さらに加えていえば、橋口五葉のデザインとアール・ヌーヴォーとは切っても切り離せない関係が指摘されます。
話しを『ユーゲント』に戻すと、この当時の当誌のカラーの表紙、イラストは全てリトグラフ。テキストのページはほぼ残されていませんが、残された表紙やイラストのページの状態は良好です。
ユーゲント・シュティール(青春・様式)という明るい名前を与えられたドイツのアール・ヌーヴォーは、その名前とは裏腹に、どこかに昏さを潜めているように見えるのは、この後僅か10年後に、第一次世界大戦に突入していく歴史をすでに知っているからなのでしょうか。
ともあれ、カヴァー・コレクションの対象ともなる『ユーゲント』のプレートは1点ごとのバラ売りです。
■さて、コロナ感染と回復の顛末です。
9月12日(月) 神保町へ。市場を覗くもめぼしいものなく1時間ほどで退散。帰途、のどに軽い痛みを感じて念のためという軽い気持ちで駿河台下のPCRセンターへ。抗体検査はシロ。PCR検査の結果は2~3日後にSMでとの由。
9月13日(火)咽喉の痛みも消え、体調に変化なく店へ。打ち合わせと作業を終えて22時頃帰宅。帰り道で膝関節にやや痛みを感じ、念のためお粥や白米のパック、冷凍うどんなど病人食的なものをまとめ買い。関節の痛みはあるものの熱は平熱。フツーに就寝。
9月14日(水)未明、関節痛で目が覚め、検温すると38.4度。朝、PCR検査の結果がSMで届き、陽性の判定。4回目のワクチン接種をした民間病院のコロナ外来の予約がとれ、この日の昼前には受診。今度は抗体検査の段階ではっきり陽性が出る。薬4種類と頓服1種類、5日分を処方され帰宅。
9月14日から 熱、頭痛 → 咽喉と耳の内側の激しい痛み → 咳と鼻水・痰 と主症状が変わりながら禁足令解除の20日を待つも、咳が続いているうちは自宅療養を続けることに。この日の抗体検査で陰性を確認。
9月22日(木)、9日ぶりに外出しスーパーへ。
23日(金)に市場に復帰するもまだ体調万全とはいかず上記の『漱石』だけ落札して帰宅。翌日より再び休む。
だるさはあるものの29日(木)店の営業再開にこぎつける。
一番きつかったのは咽喉と耳の内側の痛みでした。唾液を飲み込むのもためらわれる痛さが首に近いところにアイスノンをあてておくと多少軽減されるのに気が付いて、なるほど昔からの知恵はさすがであると感心しました。
いまだに手指の消毒剤を持ち歩き、外出先で消毒液が用意されていれば必ず利用、手洗い・うがいは当然励行し会食も避けきた自分がいつどこで感染したのか、いまもってさっぱり分かりません。コロナは厄介です。罹らないにこしたことはありません。とくに体調管理が難しい季節の変わり目に、これ以上どう用心すれば良いというのか手のつくしようもないコロナですが、どうか油断することなく、充分お気をつけ下さい。
ああ、それにしても今月は長かった。長くなったもうひとつの理由も近々に。