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17/08/08 『新版画No.4 都市田園診断号』入手のゆくたて と 謎の雑誌『333』

 ■暑中お見舞い申し上げます。
猛暑と台風で、今年もまた荒々しい盛夏となっておりますが、みなさまのご安全とご健勝とをお祈りいたしております。
さて、小店では今週火曜日・木曜日に営業した後、8月11日(金)より8月23日(水)まで、店舗営業、通信販売ともにお休みさせていただきます。この間はお問合せ等メールへのご返信も通常より時間がかかるかと存じます。また、当HPの更新もお休みを頂戴いたします。ご不便をおかけいたしまして誠に恐縮に存じますが、何卒ご了承くださいますようお願い申し上げます。
営業再開は8月24日(木)からの予定。引き続きお付き合いのほど、何卒よろしくお願いいたします。

古本屋には、時々不思議なことが起こります。『新版画 No.4』。先週の金曜日の市場で落札を逃し、翌日になって小店へとやってきたものです。いつにも増して長くなりますが経緯を以下に。
始まりは8月4日、明治古典会 (古書業者の市場)でのことでした。
その日最後に開札される赤緋毛氈が敷かれた最終台の上に、1冊のごく薄い雑誌が載せられていました。『新版画 No.4』。副題に「都市田園診断号」とあります。表紙の木版画は、1910年代から1920年代、膨張する都市と都市によって疎外される人間の姿をやはり木版画で描いたフランス・マゼレールの作品を思わせました。発行は昭和7(1932)年。日本でも都市美や機械美といった都市の「新しい美」に目が向けられていた時代です。いかにもこの時代らしい表紙です。
表紙をめくるとすぐに目次が貼り込まれたページが現れます。小さな活字でくまれたその目次中に藤牧義夫の名前がありました。藤牧義夫!
詳しくはGoogle先生のお教えにお任せするとして、これだけ謎と曰くに彩られた人を私は他にあまり知りません。24歳のある日忽然と姿を消した藤牧は、その失踪後に多くの贋作がつくられ、また作品が改竄されていることが指摘されています。
藤牧の作品を手にとり間近に見るのは初めてのことでした。藤牧生前の刊行物であれば、これは藤牧の実作で改竄の余地のないものと思えました。知る人ぞ知る藤牧義夫の数少ないその生前の木版実作は、「御徒町駅の附近で(御徒町駅))(東京夜曲A)」と題された作品でした。

 藤牧の作品を扱うなんて一度も考えたことなどありませんでしたが、手にしてみると欲が出ました。応札しようと腹を括りました。4枚札で、1度だけ「改め」 の札を入れて開札を待ちました。これまでの経験と、知ることのできた情報と、競争相手の顔ぶれと等々、熟考しての入札でしたが僅差のところで取り逃がしました。どうやら次点につけていたようで、それだけに負けは一層悔やまれました。
落札品をとりまとめ、慌ただしく五反田へと移動してこの日2つ目の市場で入札の後、吉例となっているご同業との飲み会に参加、後輩諸氏にお付き合いいただいた二次会を経て帰宅。その間も何だかずっと上の空だったのは、『新版画』のことが心のどこかに引っかかっていたからだったのだと思います。この後、藤牧を扱う機会など金輪際ないだろうなと思っていました。
翌日の土曜日、事前にお約束していた馴染みの古道具屋さん、と云ってもまだ年若い青年が店にやって来ました。久しぶりの東京で骨董市やフリマをまわってその足で来たのだと、そこで買ったばかりだというもののなかから「これはどんなものでしょう。僕の手には余ると思うのだけれど」と差し出されたのが何あろう昨日取り逃がしたあの『新版画 No.4』であり、今日画像でご紹介するこの『新版画No.4』です。
目の前に差し出されたのを見て、息を呑みました。
先ず、買った先で他に同じもの、或いは他の号が出ていなかったのかを確認しました。『新版画』はこれだけで、もう一冊、同誌同人で4号にも作品を寄せている新田穣『勝浦風景画帖』1冊と一緒に買ってきたのだと云います。次に商品の確認です。全頁版画も揃い、状態もまずまずです。
新田の木版作品集と合わせて2冊、買うわせてもらうこと決めて、昨日の市場でのことを話すと彼氏も驚いていました。昨日の落札価格は当然鮮明に覚えていて、想定される売値の約2分の1の額で買わせてもらうことになりました。

それにしても一体どこで掘り出してきたのか、聞けば、私がお教えした都内某所のフリーマーケットでのことだと云います。何が出てくるか得体のしれない実にアジア的混沌の坩堝とでも表現するしかないフリーマーケットで、その怪しさが楽しいものの、私はまだ古本・古紙に限って何も掘り出せたためしのないフリマです。がしかし、行けば何かしら見つかりますよと、件の彼氏は東京に来ると必ず足を延ばしているのです。
彼が掘り出した『新版画No.4』は、私がそのフリマを教えていなかったら彼にも掘り出せなかった『新版画No.4』です。結果としてこの『新版画 No.4』は私が掘り出したとも云えそうな気もしてくるのですがそれはちょっと都合がよすぎると云うか強引と云うかええ、はい、もうしわけございません。
こちらの『新版画No.4』の表紙裏には、明治古典会の出品分にはなかった「重要誤植」の孔版印刷物が貼り付けてあります。「重要誤植」の第一は「藤牧義夫 表紙   目次脱漏」。前日から不明のままだった表紙が藤牧の手になるものだと判明するというオマケまでついていました。
ちなみにこの日は私の誕生日でした。こういうことがあるからまた、私はまだしばらく古本屋を続けるのだろうなと思いました。
神さまはいじわるなのか親切なのか分かりませんが、神さまは間違いなく「生かさず殺さず」です。ああ゛~!!!

■もうモダニズムは当分やらないでいいなと思っているような時に限って、このようなものまで落ちてきます。こちらも初見だった謎めいたタイトルの雑誌『333』。昭和11(1936)年発行の創刊号と2号の2冊です。
映画雑誌で知られるスタア社が創刊したもので、教養主義的高級誌+グラビア表現あたりに狙いをつけたようで、「口絵」担当の写真家に木村伊兵衛、掛札功、小石清、渡邊義雄等が名を連ね作品を寄せている他、記事は政治経済から流行分析まで、またエッセイ、小説、翻訳小説と幅広く、しかしどれもレベルの高い印象。執筆陣を見ると、創刊号が芦田均、与謝野晶子、牧野富太郎、森律子らにシムノンや「郵便配達は2度ベルを鳴らす」の翻訳など、2号には川端康成 「夕映少女」、小林秀雄「ボヴァリイ夫人について」などが並びます。スタア社だけにパリの舞台や外国映画に関する情報も多数(パリ情報は2号とも日本人に よるレポート)。
広告は資生堂、レート、ビクターなどの少数先鋭で、とくに表2を使った資生堂の広告が目を惹きます。ラリックがデザインした白粉のパッケージも掲載されているコティの1P広告などというものは、この雑誌で初めて目にしました。
果たして3号以降が順調に発行されたのかどうか、いくつかの機関の蔵書検索で確認を試みましたが現段階では不明。ですが、20世紀の痕跡は高級流行雑誌の上に多くその痕跡をとどめるもののようで、『333』もまた、今日に至りその役割を果たしてくれる貴重な雑誌の一つだと思われます。

不思議なことに、Facebookもインスタグラムも続いておりまして。本日3点目の画像はインスタにアップしたなかから選びました。休暇中もそちらの方に時々ご報告とかお知らせとか画像だとかをアップするかも知れません。ご興味がありましたらフォローをよろしくお願いします。
休暇と云っても実際は 片付けなければならない仕事の予定ばかり。みなさまには小店の分もひっくるめて、どうぞ良き夏季休暇をお送り下さい!!!

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