■まだ ぎりぎり松の内ということで 先ずは新年のご挨拶を申し上げます。
あけましておめでとうございます
2022年もお引き立てのほど 何卒よろしくお願い申し上げます
コロナ禍下でのこととはなりましたが、昨年はお陰様で店主は還暦を、日月堂は25周年を迎えることができました。
これも偏に 歩みが遅くとり得の少ない小店と気長にお付き合い下さいましたみなさまのお陰によるものと、改めて心より御礼申し上げる次第です。
26年目に入った2022年、新年初売りは明日1月8日(土)12時よりとさせていただきます。
来週より火・木・土曜日のそれぞれ12時より19時で営業いたします。
オミクロン株感染の急拡大もあり、当面は引き続きアポイント制とさせていただきます。ご不便をおかけいたしますが、ご理解・ご協力を賜りますよう何卒よろしくお願い申し上げます。
■お知らせが遅れて申し訳ございません。未だに時々お問合せをいただいております「銀座 古書の市」ですが、2022年1月も開催見送りとなっております。
また、催事に代わる試みとして昨年実施した「古書目録福袋」について、今年は小店は参加を見送りました。昨年より参加店舗数は少し減っておりますが、有志による目録発行を予定しておりますので、ご希望の方は親しい古書店にお問い合せしてみて下さい。
2009年「銀座 古書の市」初参加以来、2021の「目録福袋」まで、毎年年末年始は即売会や目録発送等準備に時間を割いてきたので、今年のお正月は十数年ぶりに仕事に追われず過ごすことができました。
何もしなくて良いとなると、人間(なんて拡大解釈していいのかどうかはさておき)何もしないで過ごせるもので、会計資料を整えること以外、実に何ごともないお正月でした。
人間ぼおーっとしていても朝日は上り、夕日は落ちて一日なんてあっと云う間に過ぎていきます。無為な時間を過ごすのは苦痛でも何でもないばかりか、なかなか心地よいものであることを痛感。還暦を機に、仕事のペースを落としていくための好機となったように思います。
が。しかあっし!
お正月の分はきっとどこかで帳尻を合わせることになっているんだろうなという黒い予感でいっぱいの2022年初売り前日であります。
■画像1点目はお正月に合わせた小店入り口平台の陳列。壁に飾ったドローイングは小店でお求めいただいた局紙を支持体に、朱赤の漆で描いた「Taupe D.Motoike」のデザイナー・本池大介さんの作品。開いた状態で置いてある大きなファイルはキモノの図案の原寸大設計図集。
響き合うクラフツマンシップを店頭でご覧下さい!
それにしても、日月堂の店内はどうしてこうもおめでたいのか ……
■画像2点目は、何故か売り難く、手元に残していた紙もののなかからピックアップした年賀状。今年は売ります。全て槇本楠郎宛て。
画像左2枚は長谷川時雨主宰・女人芸術社(赤坂檜町3)名で出されたもの。1935・36年がそれぞれ1通で、宛名面は「女人芸術社」名となっているものの、すでに雑誌『女人芸術』が廃刊になっていたこの当時、表側に刷られた名義は「輝ク会」であり「女人連盟」となっています。
右側一番上のヨコ使いの1枚は「メリーさんのひつじ」「ジングル・ベル」「ロンドン橋」の訳詞などで知られる作詞家・高田三九三(さくぞう)からのもので、「お正月」(「子供のうた」より)の詩が使われています。
下段左側の縦使いの1枚は“ドーワザツシ「夢の国」社”から。童話雑誌だという『夢の国』も、年賀状に標記されている東京高輪南町の“「夢の国」社”も詳細は不明ですが、年賀状のデザインのクオリティはなかなかです。
下段右端、薄桃色のは高田三九三からのもので、こちらは自著『子供のうた』を自主出版した「シャボン玉社」名義。
あとまわしになってしまいましたが、槇本楠郎はプロレタリア児童文学の主導者のひとりで童話作家、詩人、評論家として戦前に活躍した人。何度も病に倒れた槇本の最盛期・1936~1937年の文学的交流の断片を物語る歴史のカケラたちです。
■2022年は、昨年出せずじまいだった自店目録を一度出せればと思っております。
26年目の日月堂を、また1年、どうかよろしくお願いいたします。