■市場からの帰り、自宅に向かう駅に着くとまるで見計らったかのよう、俄かに強まった雨脚は水煙となって足元に舞い、家に着く頃には濡れ雑巾となっていました。春に向かって天候も、そして人の心もどこか落ち着かないようですが、来週も店は火・木・土曜日の各日12時~20時で営業いたします。 ■最近の報道から疑問に思っていたことがひとつ。某ドキュメンタリー映画について、某国某党の某議員らが一般上映に先駆けて試写を要求したと。理由は、歴史的・政治的認識の偏向の有無を確認するためだとか。しかし、その議員さんという方も、少なくとも政党に所属している限り、右だろうが左だろうが全く偏向していないということはあり得ないのではないかと分からなくなるし、何より、人さまの歴史認識をジャッジできるほどあなたの歴史認識が偏りなく正しいものだと一体誰が承認したというのだろーか、というのがその疑問で。どうも世の中きな臭いなぁと、そんなことを考えていた矢先に出会いました上の画像。ロシア語のタイトルは読めるはずもなく、しかし、表紙の記載からこれだけは分かる1932年の発行。いうまでもなく、革命思想と分かちがたく結び付いていた前衛芸術運動が、ソ連共産党中央委員会における「文学・芸術団体についての決議」採択により“社会主義リアリズム”へと大旋回を始めた(始めさせられた)年です。いまやよく知られるようになったロシア絵本と同じく、黄ばんだ藁半紙を束ねて二つに折り、針で止めただけの粗末な体裁。おそるおそる開いて、見れば分かる絵だけを追っていくと - 宣言書を手にする男。頭の鉢の大きな男の写真。建物を監視する兵士。軍人と貴族。戦場。賛否分かれる議場。バルコニーで演説する男。銃殺された死体。そして最後に、銃器を捧げ持った市民の群。絵本とも思えない陰惨な内容です。タイトルは『КАРЛ ЛИБКНЕХТ』。全く読めないながら、二つの単語のどちらかは作者か作画家もしくは登場人物の名前ではないかとあたりをつけ、まず自動翻訳サイトのロシア語→英語翻訳で“КАРЛ”を訳していただきましたところ、出ました! “KARL”だ。人名で当たり。ならばもしや。で、今度は“КАРЛ ЛИБКНЕХТ”をサーチエンジンにそのまま放り込むと…『カール・リープクネヒト』…ってこんな顔だったのね。なるほど絵本の写真と一緒。革命後15年を経て、革命期の初心を呼び戻そうという意図でしょうか。「ローザ・ルクセンブルクといえばこの人」のリープクネヒト氏については、皆さんもサーチエンジン等でご確認いただくとして、モチーフだけでみると陰惨ながら、そして、豊穣期のロシア絵本のような伸びやかな魅力にはいささか欠けますが、どこか飄々としたタッチで描かれた挿絵の味わいや、おそらくはまだ読める目処もたたないテキストに込められたメッセージも、歴史の端境期の状況を物語る興味深い一冊ではないかと思います。歴史は何も過去に閉じられてあるものではありません。周知の通り、ソ連では既述の決議採択以降、芸術表現までもが国家の統制・監視のもとに置かれていくわけですが、個々の事象毎に申し述べられるもっともらしい理由や、自主規制を無言で強いる見えない圧力などといったものは、決議といった見えやすいカタチがある場合よりもむしろとても厄介なのではないかと、ペラペラの絵本を眺めながら考えさせられるのです。
■うって変わってこちらは能天気ともいえる落札品。ファッションシューズ社なる発行元より1950年代半ばから後半にかけて出版された『ファッションシューズ』の8冊。いずれも靴の年鑑総合カタログとして出版されたものと思われます。まだ表参道に移転して間もない頃、ということはつまりかれこれ6~7年前、靴のカタログはないかと何度かお客様に聞かれ、考えてみると「ない」。当時から昨日に至るまで「どうやら、ない。」と思っていました。私の見落としだけではなく珍しいものである様子は、入札用の封筒が札で結構膨らんでいたことからも伺えました。いずれも60~70Pのほぼ半数はスポンサー名が小さく入れられた出稿ページではあるのですが、繰っても繰っても出てくるのは靴・靴・靴靴靴…。婦人靴、紳士靴を中心に子供靴、スポーツ用まで。しかも年鑑だけに全シーズン対応ときています。私のこれまでの人生において一度にこれだけの靴の図版を見せられたのはこれが初めてではなかろうか。濃いいです。婦人靴にモードがあるのは当然ですが、意外なのは紳士靴。タッセルシューズやサドルシューズなど、年によってはいまや見つけることさえ無理な派手な色を組み合わせたものがあったりなんかもいたしまして。しかも挿絵もモデル写真も非常にアメリカンなものですから、“ジャックとベティがロケンロール”な時代をそれは見事に写し取っております。お世辞にも「ほらここにはお洒落な靴がたくさん!」」とは申しません。しかし、これを見ても、戦後の日本が、戦前に政治や軍事から文化に至るまで範をとり多くの人が憧れたヨーロッパではなく、マッカーサー率いるGHQに国民総カルチャー・ショックを受けたアメリカに、多大な影響を受けたことは明らかなのでした。歴史は何も過去に閉じられてあるものではありません。サブプライム・ローン問題もまた…(これ以上長くしてどうする ! )。