バレエ・リュスの公式プログラムとともに入荷した1920年代パリで開催された音楽公演のプログラムから、こんなものを発見 ! マドレーヌ・ヴィオネのメゾンの広告で、商標部分は未来派の画家・タヤートのデザイン。 このページの左の下の方、現在recomendのトップにある1628 『art et decoration octobre 』の裏表紙の広告も併せてご覧ください。それにしてもこのマーク、いつ見てもホントに洒脱。
■移転に向けての工程がぼんやりと見えてくると、今度は新着品をこのページで消化するのが追いつかなくなりつつあり、今週はお知らせを中心に。
■小店隣室で連日大盛況の「古本 海ねこ 6日間限定ショップ」も、とうとう本日8月1日(土)午後5時で打ち上げとなります。残り5時間のラストチャンス、駆け込まないといけませんよ !
■お待たせいたしました ! このページ更新のちょっと前、7月31日付で沼辺信一氏による「バレエ・リュスと日本人たち」のご連載第3回「ベルリンの青春(上)」をHP内textのページ<こちら>にアップいたしました !! パリから日本へと同時代に届いたひとつの波紋を描いた前回までのご連載から、今度はベルリンにところを移し、山田耕作の登場です。『ディアギレフのバレエ・リュス』展図録ご寄稿当時のご研究からさらに広く、深く、耕された山田耕作追跡<詳しくはこちらを是非>は大改訂と書き下ろしとの3回でご連載いただく予定。ディアギレフの戦略、リヒャルト・シュトラウスへの注視、そして若き日の山田耕作の体験と感性とを濃やかにたどる物語にご注目下さい。
■どれもこれも時間をかけて調べないことには何も書けない … という時に救いの神がありました。こんな時にはバレエ・リュス公式プログラム在庫品のご紹介。先週一回、お休みもしていることですし。とあくまで身勝手に今回ご紹介いたしますのは、1920年5月~6月、パリ・オペラ座公演分です。
左) ホセ=マリア・セールによる「女のたくらみ」のための衣裳画をあしらった表紙 中)「ナイチンゲールの歌」で美術を担当したマティスと振付のマシーンが並ぶ肖像写真と衣裳をまとったダンサーたち 右)ピカソによる「プルチネッラ」の舞台デザインスケッチと衣裳姿のマシーン
この公演では、ストラヴィンスキーが作曲、舞台の仕事は初となるアンリ・マティスが美術及び衣裳を手掛けた「ナイチンゲールの歌」、ストラヴィンスキー編曲、ピカソの美術及び衣裳による「プルチネッラ」、ホセ=マリア・セール美術及び衣裳による「女のたくらみ」の三作が初演、全てレオニード・マシーンが振付を担当。マティス、ピカソはあまりに有名ですが、ホセ=マリア・セールはといえば、当時のパリでサロンの名花と称えられ、ディアギレフとは生涯の友人であり、バレエ・リュスの有力なパトロンでもあったあのミシア・セールの三番目の夫。画像左端、当プログラム表紙に使われているのがセールによる衣裳デザイン画です。この公演で初演された三演目の内、唯一「プルチネッラ」だけがバレエ・リュス終焉までレパートリーとして定着、「ナイチンゲールの歌」はディアギレフが執着した作品にも関わらず定着を見ることなく、「女のたくらみ」は、ニジンスキーとフォーキンの後を襲って1916年以降新作のほとんどの振付けてきたマシーンとディアギレフとの間に亀裂が生じるきっかけとなったとされます。異国情緒の第一期からモダニズムの第二期へと洗練を重ねてきたバレエ・リュスは、この公演の後、第三期・アヴァンギャルドの実験場へとさらに様相を変えていくことになります。その先駆けともいえそうな「ナイチンゲール」は、マティスに一つの置き土産を与えることになったといいます。ヴァンスのロザリオ礼拝堂のデザインにあたり、彼は「ナイチンゲール」の“舞台装置デザインのためにしたように建物の模型を作り、衣装デザインのためにしたように紙で礼服の切り抜きを作った”(『ディアギレフのバレエ・リュス』図録より)。マティスの ロザリオ礼拝堂もまた、バレエ・リュスの遺産のひとつといえるのかも知れません。
■この他、新着品は1950~60年代発行の『Japan Interior Design』10冊、デザイン関係図書約20冊他はできるだけ速やかに、色々と込み入った方の新着品は調べがつき次第、店に出すと同時に、来週からは店に隣接するスペースに押し込んだまま8年分の地層なす本の山からも、随時整理・店頭出しの予定。8月突入と同時にますます汗を流す日々の到来となりそうです。