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11/06/25 大正ひとケタ時代の広告コンサル雑誌『耕三堂』と気軽に書体・組版・書き文字デザインの展開が楽しめる1930年代「QSLカード」


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■関東大震災前の大正5(1916)年から大正7(1918)年にかけて、『WINDOW BACK-A Window-Back and Desin of general advertisement.』→『WINDOW-BACK 耕三堂の創作物』→『耕三堂』とタイトルを変えながら、月刊で発行された雑誌が9冊。今週の新入荷品のひとつです。著者は田野邨温という名前の図案家、いまで云うところのグラフィック・デザイナーで、発行所はタイトルにもなっている耕三堂。市場で最初、モノクロ1色刷りの表紙が目に入った時には、その図案から、私が未だ知らなかった表現主義系の美術・デザイン集団かと思わせた耕三堂はしかし、残念ながら著者・田野邨がデザインを担当していた印刷所の名称でした。従ってこの9冊、一言で云えばグラフィックデザイン系専門誌なのですが、掲載されている意匠のほとんどに実際の発注者が居て、その依頼に基づいて考案されたものだというのが当誌の大きな特徴です。しかも、掲載されている田野邨考案の意匠には、現実に採用されたものもあれば却下されたものもあり、中には却下された理由まできちんと紹介されているものがあってこれが非常に面白い。例えば「山崎愛国堂」というところが発売した「止煙球」は“煙草の味のみをたまらない程悪くする”という商品で、この時代にすでにそんなものがあったのかとそれだけで「ほほう」などと感心してしまうのですが、最初の広告案では「煙草を吸ひつつある人の方が肥つてゐるから面白くない。」とか止煙球を必要とするほどの人なら煙草が好きでたまらないはずなのに、絵が「全々煙草の嫌いな人であるとも言へる。」感じになっているじぁあないのと依頼主から指摘され、「尤もな説である。自分の注意のたりなさを責めない訳にはゆかなかった。」と田野邨さん。で、もちろんその後、改善された案が示される訳なのである。それはともかく、①実在した企業の実際のニーズに基づいて作られた ②実際のプランが ③採用・不採用に関わらず ④現物の貼り込みや縮刷版といったよりリアルなかたちで、⑤多色刷りの多くは石版刷により収録されている、といった点だけでなく、⑥化粧品や文具など「流行」寄りの商材を扱いながら、⑦しかし一流印刷会社ではなかったのか - 唯一、ここの商品は結構な数を担当していた星製薬を除いて - 発注会社も商品も中位程度で、他のグラフィック雑誌にはあまり出てこない商品の広告やパッケージが紹介されているといった点も、デザイン・ソースでもなく単なる優秀デザイン紹介でもない、当誌の独特の立ち位置をつくり出しました。


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さて、それにしても何故、このような雑誌が発行されたのか。毎号長文で記された田野邨さんの辞には、図案の改善と芸術化、図案家の仕事に関する啓蒙、印刷業の地位向上などが謳われていますが、要は捨てられた案を有効活用したり、既存のプランからデザインを派生させようというリサイクル的発想と、仕事の実績を体裁よく紹介しようという営業的発想と、大きくこの二点が背景にあったものと推測されます。定期購読者には広告や陳列装飾に関する無料アドバイスのサービスもあったようで、そんなこともあってでしょうか、発行部数はせいぜい数百部止まりだったようです。神田錦町にあった印刷会社・耕三堂はいまは何の痕跡も残さず、田野邨温氏は朝日折込のウェブサイト中、「新聞折込広告史」に引用された昭和3年の『実業界』の目次のなかに名を残すのみ。以前から、街の印刷屋さんがどのようにしてデザインの仕事をこなしてしていたのだろうかと考えることがよくありましたが、『耕三堂』の仕組みの中にうっすらとそのヒントが見えてきたような気がします。
あ。当初のタイトルに使われていた「ウヰンドー・バック」ですが。田野邨さんから「恩義ある名称」という言葉が出てくる以外に言及はなく、時代のニーズの変遷とともに雑誌の内容を変えて行った結果として、タイトルと内容との多少の齟齬が生じたものではないかと考えています。
この、ほとんどの部分が活版もしくは石版刷の文字組みと手書き文字とで構成されたカードは、アマチュア無線を趣味とする人たちの間で、交信したことを証明するために交信相手に発行した「QSLカード」。小店初となる入荷で、1932~1933年を中心とした約300枚、当時横浜にお住まいだった住吉さんという方のコレクションです。サイズはほとんどが定型葉書程度、交信範囲は半島や台湾や樺太を含む当時の日本国内を中心にアメリカ、ロシア、オーストラリアなどで、戦前のまだどこか牧歌的な空気をまとっています。本来なら無線趣味があって、それに付随する楽しみとして位置づけられるべきものですが、例えば戦前の海外の鉄道チケット、カフェのレシート、定期購読の申し込み葉書など「文字と最低限の図案だけでデザインが成立している古い紙モノ」がお好きな皆さまにはまさにうってつけ。小さなカットや手書き或いはタイプ打ちの欧文など、一枚一枚表情の異なるQSLカードは店頭でバラ売りの予定です。
■今週はこの他、まだ首都高が空を塞ぐ前の「日本橋祭り」のスナップ写真ひとかたまり、戦前・日本郵船のバゲッジラベルやレターヘッド・封筒など紙モノ少々、戦前外国の観光絵葉書と同じくファンシー系の絵葉書あわせて約600枚などが入荷、このあたりまでは明日、何とか値付けを終えたいと思います。目指せ、絵葉書総入れ替え!(できることなら)。
先週入荷の函入写真ガラス版、ネガケース、カメラ部品などはようやく値付けを終えて平台やキャビネットに収まりました。またしても古本屋とは思えない抽斗の出来上がり。「どこ?」という方は店主までお声をおかけ下さい。

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