それにしても、この頃に流行ったロウケツ染めみたいなデザインは一体何に由来し、そのどこがよかったのか、いわゆるミッドセンチュリーのテイストには理解に苦しむところが結構あるのは私だけなんでしょうか、ちょっと自信がないけれど。
■ロシアの隕石落下のニュースには驚きました。Googleがそのロゴで「小惑星接近」を教えてくれたので、ふうん。そうなのか。とは思っていましたが、まさか燃え尽きずに落下してくることになるとは。超音速で飛んでくることによって生じる衝撃波によって被害が広がったという報道ですが、話に聞いていた隕石の落下のもの凄さを垣間見た思い。これだけ人的被害の出る場所への落下はこれまでにないという専門家のコメントもありましたが、落下までの様子がこんなにたくさんの動画に残されたことも有史以来初めてのこと(← 動画サイト参照。有史以来というのも考えてみるとすごいことです)に違いありません。
刻々と更新される便利で新しい技術に囲まれて、何の疑問ももたずに生活していながら、しかしどこまでいっても自然には抗えないことを、何度思い知らされたことか分からない21世紀の13年目。
■おそらくは二度と出会うことはない。そう確信せざるを得ない紙っペラというのが、これまでにも沢山ありました。そんな珍しいエフェメラが、加うるに美しさを備えた紙っペラが、次から次へと出てきてくれたならなんていう、たいそう都合のよい夢が叶えば苦労はないのだが。がしかし、実際にもし次から次へと出てきてしまったら珍しくなくなってしまうわけだしな。一体どうすればラクになるのか もはやワケが分からないな。なんてことを考えて時間を無駄にしているのはマズいので。
こんなものがあったのか、という希少性の点ではまず間違いないエフェメラが今週の1点目。昭和30年から32年にかけて、雑誌『カラーサークル』の附録として制作されたシルクスクリーンの作品で、画像中央「SHIOZO」と署名があるのは、実験工房結成当時からのメンバーとして知られる北代省三の作品で、裏面のクレジットに従えば「昭和32年3月1日」に発表されたもの。他の附録の意匠と比べても、幾何学的な意匠が際立っています。
画像左上・太陽のように見えるデザインはグラフィック・デザインの大智浩、右上・茶とグリーンでまとめたのは洋画家で日本における抽象絵画のパイオニアのひとり山口長男、右下・やはり抽象絵画を早くから手がけた洋画家の村井正誠、その左隣・裸婦を描いたのは当時このメンバーの中では最も一般的な知名度は高かったのではないかと思われる洋画家の宮永岳彦。他に、シュルレアリスムから抽象画に移行していた杉全直の作品1点もあり、色彩関係専門誌に恥じない人選です。がしかし、その『カラーサークル』という雑誌、まだ見たことがない……。
■こちらも同じシルクスクリーンですが、附録ではなく額入の立派な作品が2点。実験工房結成から約10年、1960年に結成された「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ(ネオダダ)」のメンバーで2011年に亡くなった吉村益信による1980年代の作品で、作品面に限定数と署名が入っている他、画像向かって左の額の裏面には「月月の静物(1) シルクスクリーン・エディション ’84 日仏会館 吉村益信」と本人の手で書き込まれています。向かって右の額の裏面には……と、メモしてきた紙を……ど、どっ、どこだっ!……念のために写してきたはずの画像があったはず…なのに、なっ、なぜない! ―― と大変お見苦しいところをお見せいたしましたが、現品確認でき次第、正しく書き改めさせていただくこととして、本日のところはこれにて。明日も元気だ仕事がいっぱい。やれやれ。