■関東大震災前の大正5(1916)年から大正7(1918)年にかけて、『WINDOW BACK-A Window-Back and Desin of general advertisement.』→『WINDOW-BACK 耕三堂の創作物』→『耕三堂』とタイトルを変えながら、月刊で発行された雑誌が9冊。今週の新入荷品のひとつです。著者は田野邨温という名前の図案家、いまで云うところのグラフィック・デザイナーで、発行所はタイトルにもなっている耕三堂。市場で最初、モノクロ1色刷りの表紙が目に入った時には、その図案から、私が未だ知らなかった表現主義系の美術・デザイン集団かと思わせた耕三堂はしかし、残念ながら著者・田野邨がデザインを担当していた印刷所の名称でした。従ってこの9冊、一言で云えばグラフィックデザイン系専門誌なのですが、掲載されている意匠のほとんどに実際の発注者が居て、その依頼に基づいて考案されたものだというのが当誌の大きな特徴です。しかも、掲載されている田野邨考案の意匠には、現実に採用されたものもあれば却下されたものもあり、中には却下された理由まできちんと紹介されているものがあってこれが非常に面白い。例えば「山崎愛国堂」というところが発売した「止煙球」は“煙草の味のみをたまらない程悪くする”という商品で、この時代にすでにそんなものがあったのかとそれだけで「ほほう」などと感心してしまうのですが、最初の広告案では「煙草を吸ひつつある人の方が肥つてゐるから面白くない。」とか止煙球を必要とするほどの人なら煙草が好きでたまらないはずなのに、絵が「全々煙草の嫌いな人であるとも言へる。」感じになっているじぁあないのと依頼主から指摘され、「尤もな説である。自分の注意のたりなさを責めない訳にはゆかなかった。」と田野邨さん。で、もちろんその後、改善された案が示される訳なのである。それはともかく、①実在した企業の実際のニーズに基づいて作られた ②実際のプランが ③採用・不採用に関わらず ④現物の貼り込みや縮刷版といったよりリアルなかたちで、⑤多色刷りの多くは石版刷により収録されている、といった点だけでなく、⑥化粧品や文具など「流行」寄りの商材を扱いながら、⑦しかし一流印刷会社ではなかったのか - 唯一、ここの商品は結構な数を担当していた星製薬を除いて - 発注会社も商品も中位程度で、他のグラフィック雑誌にはあまり出てこない商品の広告やパッケージが紹介されているといった点も、デザイン・ソースでもなく単なる優秀デザイン紹介でもない、当誌の独特の立ち位置をつくり出しました。
さて、それにしても何故、このような雑誌が発行されたのか。毎号長文で記された田野邨さんの辞には、図案の改善と芸術化、図案家の仕事に関する啓蒙、印刷業の地位向上などが謳われていますが、要は捨てられた案を有効活用したり、既存のプランからデザインを派生させようというリサイクル的発想と、仕事の実績を体裁よく紹介しようという営業的発想と、大きくこの二点が背景にあったものと推測されます。定期購読者には広告や陳列装飾に関する無料アドバイスのサービスもあったようで、そんなこともあってでしょうか、発行部数はせいぜい数百部止まりだったようです。神田錦町にあった印刷会社・耕三堂はいまは何の痕跡も残さず、田野邨温氏は朝日折込のウェブサイト中、「新聞折込広告史」に引用された昭和3年の『実業界』の目次のなかに名を残すのみ。以前から、街の印刷屋さんがどのようにしてデザインの仕事をこなしてしていたのだろうかと考えることがよくありましたが、『耕三堂』の仕組みの中にうっすらとそのヒントが見えてきたような気がします。
あ。当初のタイトルに使われていた「ウヰンドー・バック」ですが。田野邨さんから「恩義ある名称」という言葉が出てくる以外に言及はなく、時代のニーズの変遷とともに雑誌の内容を変えて行った結果として、タイトルと内容との多少の齟齬が生じたものではないかと考えています。
■この、ほとんどの部分が活版もしくは石版刷の文字組みと手書き文字とで構成されたカードは、アマチュア無線を趣味とする人たちの間で、交信したことを証明するために交信相手に発行した「QSLカード」。小店初となる入荷で、1932~1933年を中心とした約300枚、当時横浜にお住まいだった住吉さんという方のコレクションです。サイズはほとんどが定型葉書程度、交信範囲は半島や台湾や樺太を含む当時の日本国内を中心にアメリカ、ロシア、オーストラリアなどで、戦前のまだどこか牧歌的な空気をまとっています。本来なら無線趣味があって、それに付随する楽しみとして位置づけられるべきものですが、例えば戦前の海外の鉄道チケット、カフェのレシート、定期購読の申し込み葉書など「文字と最低限の図案だけでデザインが成立している古い紙モノ」がお好きな皆さまにはまさにうってつけ。小さなカットや手書き或いはタイプ打ちの欧文など、一枚一枚表情の異なるQSLカードは店頭でバラ売りの予定です。
■今週はこの他、まだ首都高が空を塞ぐ前の「日本橋祭り」のスナップ写真ひとかたまり、戦前・日本郵船のバゲッジラベルやレターヘッド・封筒など紙モノ少々、戦前外国の観光絵葉書と同じくファンシー系の絵葉書あわせて約600枚などが入荷、このあたりまでは明日、何とか値付けを終えたいと思います。目指せ、絵葉書総入れ替え!(できることなら)。
先週入荷の函入写真ガラス版、ネガケース、カメラ部品などはようやく値付けを終えて平台やキャビネットに収まりました。またしても古本屋とは思えない抽斗の出来上がり。「どこ?」という方は店主までお声をおかけ下さい。
左上 ポートフォリオとレタリングされた扉のリーフ 上段3点は日本館の外観と内観で、インテリア装飾は里見宗次が担当した 下段中側は金のライオンを置くイギリス館といかにもそれらしいソ連館のそれぞれ外観 その他会場全体の中から印象的な景観を押さえている
■先週は金曜・土曜と連日「自宅→五反田→神田→五反田→自宅」と自宅と市場ともひとつ市場と自宅との間を動き回り、土曜日にはさらに何年かぶりで市場の仕事、といってもあくまで軽い部類の作業をお手伝いさせていただきまして、ああそれだけで。それだけなのに。充分ヘトヘトでした。当新着案内も1回お休みをいただきまして今日は久しぶりの更新です。もう若くないゾ私は。それはさて措き。落札価格の二極分化はこの度の支部大市でもますます進行の様相を見せ、キリの方の惨状はもとより、ピンの方での厳しい競争と尚一層リアリティを欠いていくばかりの落札価格といったものは、不可視ながらも確実に、いまも刻々と生起してどう転ぶともいつ止むとも知れぬ事象、或いはそれこそ想定外の長きにわたる遅滞遅延、はたまた悲劇を通り越して喜劇とでも呼ぶ他ない愚挙の数々など、どうにも儘ならない状況下に古本屋連中が勝手にやってる単なるやぶれかぶれだったりしてね、なんて至って冷静な感想というものが常に、「古書会館」と名の付くところを後にしないことにはやってこない、というのは実に困ったモンダイであります。と、敗戦の弁明、というか負け惜しみはこれくらいにして、本気でもってこれらを売らねば次が買えない新着品のご案内です。
■専用ポートフォリオには内側に「企画部製作係」のハンコがあるばかりでタイトルなし、中に収められた未綴じのシートの内、扉にあたる1枚目に「1939 紐育万博記録写真集」とあり、ここで初めて正体が掴めるという仕掛けでした。タイトルの示す通り、日本館の全景、内部、装飾はじめ写真全27点による1939年ニューヨーク世界博の記録です。写真は全て紙焼現物、欧文タイプ打ちされたキャプションとともに厚紙に貼り付けられています。特徴的な書体の扉は青1色の印刷 …?… かと思ってよく見ればこれがポスターカラーを使用した手書き。或る程度の部数が発行された刊行物で、状態が悪くなったかどうかしたポートフォリオを付け替えたものとばかり思っていたのが、このことに気付いた段階から世の中に1冊しかない内部資料の可能性-「企画部製作係」なんていうのもそう思えばあやしい-を考えて入札。結果はやはり上札での落札で、同じように気付いていた人もいたようです。あぶないあぶない。
ともあれ先ずは扉にある撮影者の氏名「小林湜信」でケンサクしてみると…ひとつだけヒットしたのが「社団法人日本映画テレビ技術協会」のサイトで紹介されている「技術開発賞 受賞一覧」でした。小林さんは1951年度に「天然色映画フィルムの製造法」により、「小西六写真工業」の肩書付きで同僚の方(おそらく)と一緒に受賞。当品の扉に記されたカメラ の「セミパール」、フィルムの「さくらハンクロ」、印画紙の「八重」はいずれも小林さんが戦後も在席していたらしい小西六(現在のコニカミノルタ)の製品であることから、小西六の社内資料であり、同じものは存在してもごく少数だったのではと-かなり高い確率で-推察しています。小林さんの写真は写真愛好が高じて小西六に入社か?と思わせる腕前で、どのカットもクリアかつ非常にスタイリッシュ。とくに構図には、どこか日本人離れしたセンスが見てとれます。日本館に関するカットは1937年のパリ万博と比べても日本回帰の色濃い全景や、里見宗次が手掛けた館内装飾など全部で8点。ニューヨーク世界博、とりわけ日本館について、これだけ詳細な写真を見かける機会は少ないのではないでしょうか。
ニューヨーク世界博はワシントンの大統領就任150周年を記念して開催されたもので、テーマは「明日の世界の建設と平和」。 皮肉にも実際の世界はすでに相当キナ臭い状況下にあり、また、それまでの万博・世界博が国家を単位とした広報宣伝や産業振興の舞台であったのに対し、ゼネラル・モータースが出展した「フューチュラマ」- wikiで読むと遊園地アトラクションのご先祖様みたい - が大受けするなど、この時から国家に代わって企業が主要な単位として浮上したことから、戦後のコマーシャリズムを先取りした博覧会とも指摘されます。翌年に国産初のカラーフィルムの販売を開始する小西六が、1939年当時、どのような意図で小林さんを派遣したのか、記録写真集には一片のテキストも与えられず、ただ当時の空気だけを伝えています。
■こちらもまた世界にひとつだけ-たぶん-で、こちらは幸い誰も気付かなかったのか、下札で落札できました。アール・デコ当時の照明器具の直筆デザイン画40点(内39点はカラー彩色)です。「栄光社設計部」「川北設計部」「光と熱の店 虎ノ門・良明社」など、各シートに押されたスタンプと画のタッチから4~5社から出たものを、後の時代に誰かが集めておいてくれたもののようで、これは確かにデザインの宝庫。赤銅、青銅、真鍮など素材から、繊細な曲線が美しい装飾、壁面、柱、天井など、設置の場所や方法まで、一見さらっと見えて実は情報量の多いシート40枚、折角なので先ずは一括販売にトライしてみようと思います。
■今週はこの他、またしても古道具屋と思われても仕方ない戦前の写真関係の道具類-未使用ガラス版・箱入小型含む、薄葉紙を使ったネガ用のケースやアルバム、小さな断裁機etc.の一部はこちらに-ダンボール2箱分、日本手ぬぐい用・筒状の木版刷のし紙、戦前~戦後の石黒敬七著書7冊、戦前フランスの商店ファサード写真集、板垣鷹穂『新しき芸術の獲得』他戦前の書籍8冊、『プロレタリア科学』他戦前雑誌12冊、戦前海外絵葉書アルバム1冊分、これはひっさしぶりのちくま・岩波他文庫本約80冊などが明日までに入荷、しかしいつになったら片付くのかは…少しのんびり構えていていただければ幸いです。
■先ずは忘れちゃいけないご案内から。来週土曜日=6月11日は小店が所属する東京古書組合南部支部の念に一度の大市です。このため、来週の営業は6月7日(火)、9日(木)の各日12時~20時とし、6月11日(土)は当日次第の未定となります。ご不便にご不便をかさねて大変恐縮に存じますが、11日(土)に限っては、お出掛け前にお電話で在席かどうかをご確認いただけますよう、何卒よろしくお願いいたします。
■この人のことを初めて知ったのはまだ3年程前のこと、お客様からのご教示によるものでした。以来何度か『0音』を目にする機会を得ながらも落札できず、今回初めての入荷となったのは、その新国誠一が編集した芸術研究協会(Association for Study of aetts)の同人誌『ASA』で、1号(1965年)と2号(1966年)の2冊です。現在0時をまわっているというのにまだ画像処理が終わったばかりと、作業が大幅に遅れております今週の更新、ウィキペディアからのコピペでご勘弁いただく、というより、より正確な情報を引くと、新国誠一は“1960年代の国際的な前衛詩運動であるコンクリート・ポエトリーの運動に関わり、象形詩や視覚詩、音声詩などの実験的な作品を制作した。世界的には重要な詩人の一人として位置づけられて”いる人。はっきりと明記されている世界的評価のきっかけとなった『0音』は1963年発行の新国にとっての処女詩集で、以後1977年に急死するまで、活動期間は実質15年足らずと短く、出版物もごくわずかで、この『ASA』も12年間で7冊が出版されただけだとか。1号、2号とも新国、新国とともに芸術研究協会を立ち上げた藤富保男、欧文文化圏におけるコンクリート・ポエトリー作家で、新国の評価と活動を海外に広めたピエール・ガルニエなどの作品を多数収めている他、1号には新国によるテキスト「詩について;詩集「0音」補遺」、2号には新国とガルニエによる「第3回空間主義宣言書●超国家のために」、或いは具体詩に関する論考の翻訳、ブラジルの作家と作品の紹介、ダダと前衛芸術に関する同人の寄稿など、今後の評価・研究の上で、おそらく重要な点を含むのではないかと思われる言説も多数所収されています。
ご本人は、“詩と他分野が混成する表現を否定し”“視覚詩を美術との境界領域であると見なされることを嫌”ったそうですが、画像にとった1・2号の表紙や新国、ガルニエの作品を筆頭に、かれらの作品には、デザインやタイポグラフィの点から興味をもたれる方が現れるのは当然のこと。さらに「聴くための詩」では刀根康尚が朗読の際に参加していたというし、同人には一柳慧の名前があります。合計100ページ足らずのこの同人誌2冊に発表した作品や論考を通じ、或いは同人誌の外での活動を介して、詩の存する領域を揺さぶり続けたかに見える新国誠一の活動は、「前衛」と呼ぶに相応しいものに違いありませんでした。
■でこちらは新国とも前衛とも全く無関係に、しかも寸分の隙なく - つまり言い訳できる余地なく - 小店店主の好みだけで落札した本革製のビジネスカバン、但し、「日本色彩社」の営業担当者の専用品だった模様。カラーチップの綴りが10点、ビシッと収まるポケットは、いまならケータイとかスマートホンとかiPotなんかを入れておくのに良さそうです。ファスナーも、収納可能な持ち手も生きていて、まだまだ現役を通せそうです。それにしてもカラーチップ10冊と革製のカバンだけででこれほど重たいとは。しかも、一銭も無駄遣いしているような余裕などないのに、一体どんな人が買って下さるというのか … 非常にアヤシイ。
■今週はこの他、大判の美術・デザイン系の洋書3本、ラベル蒐集帖1冊、多色木版刷の熨斗と熨斗袋(但し扇子や手拭の進物用)一括、などが明日店に入荷いたします。