■東北関東大震災の発生から昨日で一週間が経ちました。
その時私は神保町の東京古書会館にいて、東京メトロとメトロ乗り入れの私鉄で一直線、普段は45分程の片道を、帰りは地下鉄を乗り継ぎ、徒歩とあわせて3時間と少しかけて、それでも深夜0時半頃には何事もなく帰宅することができました。自宅は拍子抜けするほど被害なく、これなら店もそう問題ないだろうと安堵したものです。安堵とともにスイッチを入れたテレビの画面を、しかし、ただ呆然と見守ることとなりました。以来今日まで、犠牲者数で阪神大震災を超えることになってしまった災害の凄まじさ、そして深刻な原発事故など、目を疑いたくなる光景が次から次へと生起して、長い、本当に長く感じられた一週間となりました。さらに、震災大報道の片隅に中原祐介と吉村益信の訃報を目にして、自分が「現代」と信じて見てきた時代が終わっていくことを教えられました。
■「こうした時だからこそ自分のなすべき仕事をせよ」
この一分の隙もない常套句には、常套句とされるだけの経験知というものが込められているのだろうと思う一方で、けれどこんな時に古書を買い古書を売るという行為に - もっといえば、小店が存在しているというそのこと自体に - 一片の説得力ももち得ないまま、この一週間を過ごしました。医療や災害関係の資料でも扱っているのならまだしも、今回のこの経験では、小店のような古本屋、つまりは趣味とか伊達とか酔狂とかに属する - 多少高等に、芸とか美といえるかも知れない - ものを売買する存在が、いかに「平時のみ可」であるかを思い知りました(コンニチノ コノ 状況下 如何ニ リアリティ ノ 欠如シタ 存在デ アリマショウヤ!)。
しかし。待てよ。ならば、悲惨で哀しい出来事がたくさんあったはずの人の歴史のなかで、趣味や伊達と酔狂や、あるいは芸だとか美とかいうものが、全く廃れることなく、むしろ層を厚くするようにして残ってきたのは、一体どうしたわけだろう?
常套句と同じように、ここにもまた、きっと豊な経験知がこめられているはずだ、などと思い直して、そんな堂々巡りに、依然、何かが開けたわけではありませんが。
■3月19日(土)。
東京電力は計画停電を実施せず、福島第一原発では一部で電源復旧が見込まれる本日、店は12時より17時までと短時間ですが営業する予定でおります。小店程度の経験知と在庫では、いかほどの効用があるかは全く保証の限りではありませんが、気分転換にでもお立ち寄りいただければ幸いです。
来週は火・木・土曜日の12時より営業の予定ですが、状況により営業時間を短縮したり臨時休業する場合もあります。お手数とは存じますが、ご来店当日にお電話で在席か否かをご確認いただけますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。
■色々と考えて、新着品からはこの2点を選びました。
1966年・南画廊で開催された「色彩と空間展」のポスターおよび同展オルガナイザー・東野芳明による趣旨書と、「視覚詩」「コンクリート・ポエトリー」などと呼ばれる分野の詩人として知られる高橋昭八郎の『ポエムアニメーション5 あ・いの国』(1972年 私家版)。
『あ・いの国』の高橋昭八郎は1933(昭和8)年、岩手県の出身です。「色彩と空間展」の東野(1930年)、山口勝弘(1928年)、磯崎新(1931年)などもほぼ同世代。何もない戦中に育ち、戦後の荒地の残る日本で新しく立ち上がった若い人たちによる、美への挑戦のカタチです。大震災後の荒地がまた、新しい人の立つに相応しい堂々たる大地として、決して遠くない日に再生されんことを。
■この未曾有の災害に、どうした言葉を発すればいいのか、事態が明らかになればなるほど、そうでなくとも乏しい励ましや慰めの言葉まで、失っていくばかりです。
未曾有の災害がもたらした悲しみは、到底簡単に癒されるようなものではなく、何をいっても軽いものでしかないことを承知の上で、被災地のみなさまには一刻も早く安全と安心が確保されますように、そして、やがて再び安寧の日がおとずれますように、心よりお祈りいたしております。
■更新が遅れたばかりに、ご心配をおかけして申し訳ございませんでした。お陰さまで小店は、店のバックヤードの本が崩れた程度で、生活面も含め、被害の一切をまぬがれております。店は当面、輪番停電や余震の状況に対応していくととなろうかと存じます。ご来店の際には、恐れ入りますが、その当日にお電話で在席を必ずご確認いただけますようお願い申し上げます。
尚、新着品のご案内は今週お休みとさせていただきます。
■一昨日の木曜日、店で、気遣い無用のご常連2氏の前で、「スランプなんてぇものからは明日の市場で見事脱出して見せやしょう。」なんて啖呵を切ったはよいものの、そんなに簡単に抜けだせるものを何も大袈裟に「スランプ」なんて呼ばないわけでありまして、お陰さまですっきりはっきりスランプであることが判明した今週 - やれやれ。- 最初の新着品はパリから一拍遅れて到着した商品です。
1941年、チャールズ・ヘンリー・フォードを編集人にニューヨークで創刊された前衛芸術専門誌『View』より、1942年10月号、1943年12月号、1944年12月号、1946年の1月号、2月号、10月号の合わせて6冊。最初に見た時は、ビジュアルの扱い方やテキストの組版・レイアウトなど、大掴みな誌面の印象になりますが、フランスで発行されていた同じシュルレアリスムの専門雑誌で、1939年に休刊した『ミノトール』に非常によく似た印象を受けました。ブルトンの強い影響下にあった『ミノトール』に対して、『ヴュー』はブルトンの来米準備を整えたとされるニコラ・カラスが常に雑誌の周辺にいて関わっていたようで、2誌に共通する印象は、こうしたことに由来しているのかも知れません。ニコラ・カラスはまたアメリカへのシュルレアリスムの紹介者と見られており、同誌でも文学、美術、写真など芸術諸分野のシュルレアリストが大御所から新鋭まで、こぞって作品を寄せているといった感があります。目次や奥付からその名前を拾っていくと - C.H.フォード、N.カラスは当然として、マルセル・.デュシャン、アンドレ・ブルトン、アンドレ・マッソン、マン・レイ、デ・キリコ、シャガール、レオノール・フィニ、アルベルト・モラヴィア、ポール・ボウルズ、ウィリアム・カロウズ・ウィリアムなどの名前が次々に出てきます。さらに、1946年10月号の表紙はイサム・ノグチ。現在ニッポンではもっぱらミッドセンチュリーの穏当なインテリア・デザインで知られるノグチですが、アヴァンギャルド雑誌の表紙と実にまあよくマッチしていることでしょう。また、巻頭と巻末に集められた広告は、誌面に相応しく前衛芸術を扱うギャラリーの広告が多数を占めており、なかには「バレエ・リュス・モンテカルロ」の公演広告などもあって、こちらについても充分な注意を要します。
それにしても、です。シュルレアリスムというと、当時の前衛芸術の諸主義のなかでも、随分広範なフィールドと人脈とのなかで展開されていた運動という印象を持つわけですが、例えばフランスの『ミノトール』とアメリカの『ヴュー』とを比べると、いやいや『ミノトール』と、同じフランスでブルトンと対立した一派が出していた『ビフール』なんていう雑誌とを比較してみても、ほとんどの人名が重なってくるというこの狭さ。その狭い世界の住人に主導されて、世界的な規模で美術や文学に革新がもたらされてきたことを思えば、2011年現在、facebookが独裁政権を次々と転覆させていったところで不思議でも何でもないんだな、ということに気付かされます。
■さらにさらに狭い世界から。1928年から1934年頃、日本の植民地となっていたハルビンに住んでいたと思われるロシア人一家のプライヴェート写真約80点。ここぞという時、女性は完全にアール・デコ当時の優雅なワンピースに独特の帽子を着用、男性は純白(だと思う。なにせモノクロ)の麻のスーツ、なかに日本に観光に訪れた際の一連の写真があって、日傘というものがご婦人方に非常に好評だったことがうかがえるなど、見るにつけ眺めるにつけ、何かしら発見のある極私的写真であり、先週に続いてこれもまた“記憶の種子”系紙モノです。がしかし、これを買おうという人は一体何のために …… 謎だ。
■今週はこの他、「堂島 住吉屋茂助」と書き込みのある『島手本』(=縞帳)、戦前・未使用の便箋3点、イキアタリバッタリに使ったとしか思えない戦時中のノート2点、梅村豊の写真、諏訪優の構成によるこの表紙はモホイ=ナジの『Fototek 1』を参考にされましたか?という表紙の雑誌『ATTACK Number 2』、こちらも戦前の前衛芸術雑誌から学びましたね!という岩本修蔵発行セナクル・ド・パンポエジイ同人誌『PAN POESIE 5』、復刻版6冊とフランス語の冊子入り『LIVRES FUTURISTESRUSSE』限定1,000部の1冊、そして、デザイン、モダニズム関係のユーズドブックも久しぶりに棚に入りました。何はともあれ買えない限りは勝負にならない古本屋であります。来週こそ「スランプ脱出」したいです。